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2008年4月23日 (水)

天降って地固まる、おのころ島

淤能碁呂島(おのごろじま)は自凝島と書くこともあり、自ら固まる島という意味。

天の沼矛で原初の海をかき混ぜる行為は、潜在意識のガラガラポン・たまふりと見ることもできる。ガラガラポンのときは狐憑きや統合失調症のような状態になり、わけもわからずフルボッコ状態に置かれると以前書いた【参照:タイムトンネル】。たまふりと語呂が似ているタミフルの原料に八角が使われているが、八角=八父韻と考えればそれも納得。【参照:八角でたまふり

原初の海を漂うぶよぶよしたくらげのような塊は、創造の失敗作である水蛭子(ひるこ)に通ずる。分別のない、自分の限界を知らない、無自覚な心の様相を表す。水子の呪いが怖いというのは、呪うにしてもなんにしても限度を知らないから。幼児的な全能感とそれを打ち砕かれたときの無限の恨み、それが蛭子の身上。天国と地獄の両極端、躁鬱状態とちょっと似てるのかもな。

天の沼矛(父韻)により海(母音)が刺激(カルチャーショック)を得て、そこでいったん負けのような状態になり、その結果、矛の先から滴り落ちる塩とは屈従の涙のことか?

父韻は時間の概念だから、未来からの使者ともいえる。未来の理想像と今の至らない自分自身との絶望的な差に打ちひしがれ、おのずと自覚を促される。いつかあの大きな虹(天の浮橋)へたどり着くにはどうすればいいのか、筋道を立てて考える。

あきらめずに、あせらずに、石をひとつひとつ積み上げていく覚悟と決意。それが涙が固まってできたおのころ島。己の心の船着場。

■2004/05/03(月)
わたしたちは あるびのしゅ。あるびのの ふなつきばを こころのなかに いつきたてる。あるびのの こころは からっぽ。あるびのの からだは ささげもの。こころのつばさもて とわにおわらぬ ゆめをつむぐ。

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