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2008年8月16日 (土)

欲望を定義する

「欲望は対象が在るときのみ生じる。対象は欲望が在るときのみ存在する。欲望と対象は双子であり、どちらかが一方よりほんの少しでも先に誕生するということはない」 - 『欲望としての知識』より

というキルケゴールの言葉から始まっているこの本ですが、まだ読み始めたばかりなので、この冒頭部分に関してだけ、今の時点で思うことをメモしておく。

コトタマ学では欲望は言霊【ウ】とされていることはすでに書いた。しかし、欲望っていうのは、対象があって始めて芽生えるものだよね。意識の萌芽である言霊【ウ】はまだ主体と客体が剖判していない、渾然一体とした状態であるから、欲望を抱くも抱かないもないような気がするんです。

コトタマ学ではちなみに、以下のように心の宇宙が剖判していく。本当はさらにこの先に八父韻と二親音が続きますが、それは今回は省略。

     ┌ 
  ┌

  └
     └

古事記と言霊』では、以下のように定義されている。「…」のあとは仏教の十界に当てはめた場合。餓鬼、畜生などネガティブなのは暗転した場合です。

】【】五感感覚、欲望 … 衆生/人間
】【】悟性、経験知  … 声聞/修羅
】【】感情      … 縁覚/畜生
】【】理性、実践知  … 菩薩/餓鬼
】【】生命創造意志  … 仏陀/地獄

確かにすべてのものとの一体性を保ちながら、無自覚に本能に従って生きているだけの意識の次元は【ウ】であり、それは「理性」に対して、「欲望」と呼ぶべきものであるかもしれない。しかし、それはあくまでも生命を維持するための素朴な肉体的欲求に過ぎなく、わたしたちが普通に「欲深い」とかいうときにイメージするものとは違うような気がするんです。

「欲望」という言葉の定義の問題になってくるのかもしれません。十界を例に取ると、「貪欲」という言葉が一番似合う次元は、「餓鬼」とか「修羅」ではないでしょうか?それは【エ】次元と、【オ】次元にあたります。色だと赤鬼青鬼は鬼の代表的な色でもあります。

赤と青が混ぜこぜになった色であるは【ア】次元で、十界だと「縁覚/畜生」に当てはまる。畜生界は本能のままに生きる動物のような心持ち。これも欲望と言えるのかもしれないが、あくまでも目先の餌に飛びつく感じ、欲望にしても質の高くない欲望に明け暮れる感じで、「愚かしさ」や「堕落」のほうが近いかもしれない。

そして、修羅と餓鬼が、なぜにそんなに貪欲なのかといえば、「一体であること(仏教用語では梵我一如)」から分かたれた、疎外感を埋めるためではないでしょうか?人間は自我の占めるウェイトが大きければ大きいほど、一体感からは疎外されていくもの。だからより大きな一体化の欲望を抱くようになるのではないでしょうか。

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