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2008年9月19日 (金)

薙と雉、籠と龍

人は草 どなたが書かれたか知りませんが、この文章すごい。かいつまむと、

イザヤ書の「人は草」という記述と、古事記の「人草青人草」との一致、イザヤとイザナギ・イザナミの「いざ」という音の一致、そしてイザナギとクサナギの「なぎ」という音の一致。草薙の剣(くさなぎのつるぎ)は草を薙ぐ剣で、「薙」という字の草冠(くさかんむり)をなぎ払えば「」になり、雉は日本の国鳥で、犬・猿とともに桃太郎の家来であり、「知情意」の「」に相当する。

という意味のことが書いてあるのですが、目から鱗が落ちまくり。しかも無駄な部分がなく、見事に大容量がコンパクトに凝縮された上手な文章だなーと思います。

これ以上まとめようがないのですが、言霊学的な解釈も付加しつつ、自分なりにまとめてみます。

『古事記』では、黄泉国(よもつくに)で黄泉醜女(よもつしこめ)と黄泉軍(よもついくさ)に追われた伊耶那岐の命(いざなぎのみこと)が、桃の子(み)三兄弟を追っ手に投げつけてやっとのことで追い払い、

「汝、吾を助けしがごと、葦原の中つ国にあらゆる現(うつ)しき青人草の苦(う)き瀬に落ちて、患惚(たしな)まん時に助けよ」

と命じ、その桃の子に意富加牟豆美(おほかむづみ)と名付けた。それがのちの桃太郎である。「おほ」(現代仮名遣いでは「おお」)が「大」ではなく、「意富」になってるところがミソですね。意に富むってことでしょうね。やはりキーワードは意【】です。

『日本書紀』では桃を投げて敵を追い払ったあとに、「こっち来んな」とを投げる。その杖の名を岐の神(ふなとのかみ)といい、元の名は来名戸の祖神(くなとのさへのかみ)、「ここから先へは来るな(来な)」=立入禁止という意味。異世界と現世の境界線を表す。

この杖は『古事記』では衝き立つ船戸の神(つきたつふなどのかみ)と呼ばれ、黄泉国から帰ってきた伊耶那岐が川で御祓(みそぎ)をする場面の最初に出てくる。『古事記と言霊』では、衝き立つ船戸の神と建御雷の男の神(たけみかづちのをのかみ)は同一の精神構造(言霊図)であると書かれている。それは言霊【】を中心とした「天津菅麻(あまつすがそ)」音図であるとわたしは解釈しています。

杖とか剣は人間の判断力の象徴であり、判断力すなわちそれは意志言霊イ)の領域である。杖や剣をふるうのは【】伊耶那岐の仕事である。草薙の剣の「薙」の字の草冠をいざ薙ぐと「雉」になり、わたしが考えた十二支鳥編でも、伊耶那岐の領域(午年、土星)を象徴する鳥は雉です。ちなみに植物はキク)と草の王(クサノオウ)。

それに対して、という字ですが、これはが竹籠の中に封じられている様子を表しているのではないでしょうか。籠=まさしく籠目(カゴメ)のことであり、カゴメとはすなわち六芒星であり、ダビデの星のことである。童謡の「かごめ」では籠の中にとらわれているのは龍ではなく鳥ですが、鳥は龍(恐竜)の子孫なので、共通項はあります。

いったんここで切ります。続きはまた後日。

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