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2008年10月17日 (金)

真名井の水の見張り番

宮津ブログの真名井神社の項目で紹介する予定の写真なのですが、1枚だけこちらで一足先に紹介します。今から書こうとする記事に関わることなので。

Dscn0791 真名井原 波せき地蔵堂

大地震の後の津波をここでせき止めてくれた霊験あらたかなお地蔵さんということです。

お地蔵さんのおうちにはが彫られています。横に立て札があり、津波をせき止めた伝説のあとに、このような謎めいた文言が書かれています。

二千五百(ふたちいほ)鎮まる神の神はかり
百(もも)の御生(みあ)れの時ぞ近づく

平成八年八月八日

桃といえば、桃の実を投げて黄泉の国の追っ手を振り切ったイザナギ・イザナミ神話を思い出します。黄泉の国の追っ手=津波と考えることもできるし…。(これについては後述)

じゃあ波せき地蔵は桃太郎?それとも…

  • 薙と雉、籠と龍」で記述した来名戸の祖神(くなとのさへのかみ)=衝き立つ船戸の神(つきたつふなどのかみ)
  • 伊耶那岐と伊耶那美を隔てるために黄泉比良坂(よもつひらさか)に置かれた石である千引の石(ちびきのいし)=道反の大神(ちかへしのおほかみ)=塞へます黄泉戸の大神(さへますよみどのおほかみ)

…のような、境界の神(塞の神、辻の神、道祖神)のことでしょうか。波せきのせきは堰とか関のことだから、こっちのほうが近そうですね。

「もものみあれ」ってのはまさしく、桃太郎の誕生のことを言うのではないでしょうか。桃太郎=意富加牟豆美(おほかむづみ)=天照大神のこと。

天照大神がなぜ桃(百)かというと、言霊百神(言霊五十音とその五十通りの運用法)の心得があるから。言霊百神を自由自在に操るエキスパートが天照大神。

余談ですが、波せき地蔵堂にお供えしてある花はヤナギバヒマワリ(柳葉向日葵)のようです。英名はゴールデンピラミッド、金色の三角形▲

投げられた桃の子(み)は三つだし、天照・月読・須佐之男も三兄弟(三貴子/みはしらのうずみこ)。ゴールデン=金色というのは単に色だけのことではなく、最高の価値のという意味もある。まさに三貴子にふさわしい。

もちろん、籠神社や真名井神社の神紋が三つ巴というのもあります。裏神紋は三角を二つ組み合わせた籠目紋だしね。ずっとこのブログで考察しているテーマなわけです。

偶然にしても面白いのでメモしておきます。

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黄泉の国の追っ手=津波という表現は、『古事記と言霊』の中で、聖書の文章と絡めて説明されている。以下引用。

「海の水ながれ出て、胎内より湧きいでし時、誰が戸を以て之を閉じ込めたりしや、かの時われ雲をもて之が衣服(ころも)となし、暗闇をもて之が襁褓(むつき)となし、之に我が法度(のり)を定め、関および門を設けて、曰く、此(ここ)までは来るべし、此を越ゆるべからず、汝の高波ここに止まるべしと」(旧約聖書ヨブ記38章8~11)

ヨブはイエスキリスト以前のキリストと呼ばれた人で、そのヨブ記に古事記と全く同じ意味の文章が見られることは興味深いことでありましょう。詳しい穿鑿(せんさく)は抜きにして、今回は字句の説明だけに留めます。

「海の水ながれ出て、胎内より湧きいでし時……」とは黄泉国(よもつくに)の雷神や黄泉軍(よもついくさ)を指します。伊耶那美の命の思想上の後継者である須佐之男の命は「海原(ウ言霊の領域)を治(し)らす神」であります。

「雲をもて之が衣服となし、暗闇をもて之が襁褓となし」とは、雲は八つの父韻、暗闇は五母音のことです。

「関および門を設けて」とは千引の石を比良坂に置いたことに通じます。

「汝の高波ここに止まるべし」とは塞へます黄泉戸の大神と同様の事でありましょう。

ヨブ記のこの文章と古事記の黄泉比良坂の記事は全くの同一の事件のことを述べていることにお気付き頂ける事と思います。

もっと簡単に、波=伊耶那美のナミの一言で説明することもできると思います。伊耶那美のであり、水霊(みづち)=瑞霊=伊耶那美でもあるのです。また水の神は龍や蛇に象徴されます。

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