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2011年10月16日 (日)

サイコと緑の少女と昭和の怨念

多重人格探偵サイコ~雨宮一彦の帰還~』で書き忘れたのですが、主人公の雨宮一彦のセリフで、こんなのがありました。

たぶん僕には、その「普通の人が持ってる、あるようなないようなもの」が、欠落してるんだ。その「あるようなないようなもの」が欠落してると、心が冷たくなっちゃうんだよ……真珠を飲み込んだようにね。

河合その子ファンなら、最後の「真珠を飲み込んだよう」の部分にピンと来ると思います。『緑の少女』。

河合その子の初期の傑作『緑の少女』の冒頭部分の歌詞と同じです。「真珠を飲み込んだよう」なんて表現は一般的ではないし、少なくともわたしは、この歌以外では聞いたことがありません。ということは、これは『緑の少女』へのオマージュなのでしょうか?

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このドラマの舞台は、昭和天皇の容態が危ぶまれる1999年、昭和74年ということになっている。あと10年、昭和が続いていたらっていう架空の世界だよね。年は10年ずれるけど、命日は現実世界と同じ1月7日ということになってました。

作中最大のキーパーソンであるルーシー・モノストーンの命日も、それに合わせるように1月7日でした。

ここにはわたし、こだわらざるを得ないんです。なぜなら、1月7日はわたしの誕生日だから。

あたかも見せしめのように、今上天皇の誕生日(12/23)にA級戦犯が処刑されたように、誕生日と命日って、密接な関係があるような気がします。今上天皇はいわば、呪いをかけられた。

そしてわたしも、昭和という時代に呪われている。

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ロリータ℃は物語の最後に言う。「まだ終わってないよ、だって、まだなにも始まってないもん」

そうだよね。

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