« WEEK ENDとガルーダまり | トップページ | 築地本願寺とHIDE その2 »

2013年6月25日 (火)

築地本願寺とHIDE その1

今回は、まずはこの動画から。

BLUE BLOODの頃のHIDEYOSHIKIのインタビュー映像。舞台はなぜか金沢のお寺。

HIDEのインド風というか、あの独特のファッションとメイクがやたらとお寺とマッチしていて、「お寺と一体化してますね」「どうも、即神仏です」「インドの修行僧かと思いました」と、ノリのいい掛け合いが楽しい。

冒頭で「浄土真宗です」と自分で言ってたけど、これは松本家の宗派がということだろうか。葬儀が浄土真宗の築地本願寺で行われたということは、きっとそうなのだろうね。

その築地本願寺についてが、今回の主題です。

これは2008年の朝日新聞の記事ですが、抜粋します。

ノートに託す心の交流 hideの死から10年(朝日新聞)

 ロックバンド「X JAPAN」のギタリストだったhide(ヒデ)=本名・松本秀人さん=が33歳で命を絶って、5月で10年。あのとき黒い服の若者たちがあふれた東京・築地本願寺の一角で、今も「hideノート」が書きつがれている。その数、約120冊。静謐(せいひつ)な場所で、心の何かをノートに託し、あしたを生きる力を得て帰る。この心の作用に、宗教関係者は注目する。

~中略~

 hideノートは、告別式の翌日、悲嘆に暮れるファンに自分自身を見つめてもらおうと、寺を拠点にホスピス活動をする団体「浄土真宗東京ビハーラ」が置いた。本堂の隅の、紫の布で覆われた机に、最近の十数冊がある。

 本堂は本尊を拝む場所。故人を祭るのは宗旨に反するのでは? そう堀江さんが尋ねると、お寺の吉川孝介庶務部係長が答えた。「宗旨にも矛盾するし、初めはどうかなと。でも、この子たちは少なからずhideさんを縁に仏教に出会ったのですから」

浄土真宗では、先祖や故人の供養というものはしない。なぜなら人は死んだらすぐに仏になるからであって、間違っても、未成仏霊がこの世を怨めしそうにさまよっていたりなんてことはありえないし、そんなのは迷信だという教えであるから。

死者は仏になるから、現世で迷いの中で生きている人間より格が高いのであり、生者が死者に対して上から目線で供養なんておこがましいという考えでもある。死者を極楽浄土へ導くことができるのは、阿弥陀如来の本願によってのみであり、阿弥陀如来のみを信仰するので、一向宗ともいわれる。

そういうわけで、死者を祀っている「hideコーナー」というのは、本来は宗旨に反しているのである。しかしそれでも設置してあるというのは、この記事にもあるように、若い人たちが多く寺を訪れるようになってくれたから。つまり、hideの集客力というものに期待しているから。

こちらは同じ浄土真宗でも、本願寺派に対する批判のサイトです。

故人を祀る築地本願寺 築地本願寺の「hideノート」

浄土真宗の寺の本堂に、故人が祀られているのをみて、hideを訪ねてくる若者は一体どのように思うでしょうか。
「死んだhideは、寺にいて、ここに来れば会える」という感覚なのではないでしょうか。

 本堂と言えば、ご本尊がご安置され、仏法が語られる場所。決して故人に手を合わせる場所ではありません。
 それは「死んだ人間や動物の霊魂が、宮や社に鎮座している」という信仰で、仏教ではそれは鬼神信仰という迷信だと親鸞聖人は

かなしきかなやこのごろの
和国の道俗みなともに
外儀は仏教の姿にて
天地の鬼神を尊敬す

と、徹底的に批判されている教えです。

 寺の役員も「浄土真宗の教えに反する」と認めているとおりです。

鬼神信仰という言葉が出てきましたが、霊魂の存在というものは認めているんでしょうかね。あってもないようなもの、迷いの元みたいな感じで否定してるのかな。

人間の魂というものは、生と死の中間的な、あやふやな、曖昧な、そんな性質のものなのかもしれませんね。白黒はっきりとけじめをつけたい場合には、ないものとして扱ったほうが都合がいいんでしょうね。

さらにこちらのサイトは一周忌のもののようですが、一部抜粋。

「X-japan」 hideさんの1周忌

宗門の中には、築地別院に多くの若者が集まることから、その事実について過大な評価をする傾向もあるようである。本願寺派の僧侶の多くが、そのことに強い関心を持っていることからもうかがわれる。

~中略~

集まってくる若者の気持ちを受けとめることは大切である。しかし、hideさんだけを特別扱いするということはどうだろうか。なぜなら、築地別院で葬儀をした人はたくさんいるわけで、有名無名に限らず、みんな同じである。
また、hideさんはいわゆるカリスマ性をもったひとだったのだろう。評価のしかたによってはそのカリスマ性に同調することになっていきはしないか、極論を言えば、hideさん教になってはいないだろうか。

あくまでもフェアに論を進めるために、批判的な記事も敢えて掲載しました。「一歩間違えるとおかしなものになりかねない」まったくそのとおりだと思います。

さて、ここからはわたしの考えを書いていきます。端的に言えば、築地本願寺はHIDE教そのものであるというのが、わたしの(大胆な!)考察です。

引用だけで長くなってしまったので、いったんここで切ります。次からは持論を展開していきます。どうせ個人ブログです、大胆に行きましょうw

|

« WEEK ENDとガルーダまり | トップページ | 築地本願寺とHIDE その2 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« WEEK ENDとガルーダまり | トップページ | 築地本願寺とHIDE その2 »