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2014年5月の4件の記事

2014年5月20日 (火)

構音完成年齢と色と音の法則

今回はちょっと小ネタなのですが、こんなものを作ってみました。

Koon

構音の完成年齢とは、幼児がその音を発音できるようになる年齢のことを言うらしいのですが、それを何気なく色分けしてみたら、わりと法則どおりになったので、メモ的にUPしておこうと思います。

年齢 完成する構音
2歳代 パ行、バ行、マ行、ヤユヨワン、母音
3歳代 タ行、ダ行、ナ行、ガ行、チャ行
4歳代 カ行、ハ行
5歳代 サ行、ザ行、ラ行

ガ行だけ惜しいですね。でもそれ以外は、わりときれいに塗り分けられてるんじゃないでしょうか。

構音完成年齢が低いほど幼い印象の音、高いほど大人っぽい印象の音ということになるのでしょうか。

一般的な子供が最初に覚える言葉が「まま」「ぱぱ」「ばあば」であることは、一番発音しやすい音だからなのかもしれませんね。

小さいャュョの音は拗音といいますが、字面だけ見ると「拗ねる音」。どういう意味があるんだろう。自分の感覚的には、粘るようなねちっこい音だと思います。そのあたりで拗ねるになるのかな。幼児語によく使われますよね。みっくちゅじゅーちゅ、とかw

とまあ、今回は、まとまりありませんが、こんな感じで終わり。

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2014年5月18日 (日)

かたつむりはブラックボックス

島田正路・著『古事記と言霊』によると、伊耶那岐/伊耶那美による神産みは、コトタマ五十音が生み出される過程と、そのコトタマ五十音そのものをも指しているということらしいのですが、五十柱すべての神名に一音ずつコトタマが対応しています。

コトタマと古事記の神名の対応はこのようになっています。わたしが独自に発見した裏コトタマと共に、Liteのほうにまとめましたので、リンクを貼っておきます。

【参考リンク】
裏コトタマ - あめのみくりや Lite -

今回はその中でも、後半39番から47番目に産まれた神である、以下の九神について取り上げます。

【ヌ】鹿屋野比売の神
【ラ】天の狭土の神/【サ】国の狭土の神
【ロ】天の狭霧の神/【レ】国の狭霧の神
【ノ】天の闇戸の神/【ネ】国の闇戸の神
【カ】大戸或子の神/【マ】大戸或女の神

これらの神名は、音波が耳から入ってきて、脳に伝わる過程を表しています。受信側です。前半の神産みは発信側なのですが、まだちょっといまいち理解できないので、比較的わかりやすいこちらからやります。

耳の仕組みの図はWikipediaからお借りしました。

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【ヌ】鹿屋野比売の神 [かやのひめのかみ]

音波が外耳道を通って鼓膜に伝えられる。

鹿屋野の鹿屋とは神の家である言葉の意で神名[かな]()であります。真名[まな]() が口で発声されて神名となります。その神名が空中を飛んで大山津見である言葉となり、山が終わって鹿屋野の野に下りてきた、という洒落た表現であります。 山から野に下って、そこで人に聞かれることとなります。耳の鼓膜を叩くので野槌の神とも言っています。言霊【ヌ】は貫・抜く・縫う・温もり等の言葉に見られま す。

『古事記と言霊』より

野槌の神の「野」は、野の神の野。

五十音中、神名[かな]は【フモハヌ】四言霊だけであり、すでに発声された言葉として、人の身体とは離れた外界を漂っているために、それぞれ風、木、山、野の神として、自然物の名がついているのだそうです。

大自然から、鼓膜を通して、再び人間の内部に戻っていくときの音が【】。【】は霊が現れるときの音。自分以外の外部の存在を初めて認識するときの音、なのかもしれません。だから名状しがたき、不気味な響きのある音ですよね。

「ねこ」を「ぬこ」って呼ぶと謎の生命体感アップw

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【ラ】天の狭土の神 [あめのさつちのかみ]
【サ】国の狭土の神 [くにのさつちのかみ]

音波は鼓膜を振動させ、中耳内の3つの小さな骨(耳小骨;槌骨・砧骨・鐙骨)に伝わる。

狭土[さつち]とは耳孔の狭いところの椎[つち](槌)の意。天は霊を、国は音を分担していることを示しています。言葉が耳孔の狭いところを入っていく様を言います。言霊【ラ】は螺の字が示すように螺旋運動のことです。言霊【サ】は刺す・指す・差すが示すように一定の方向に向かっての浸透状態であります。

『古事記と言霊』より

文字通り槌骨という骨がありますね。狭い耳の孔の中の、小さな槌。読み方はそれぞれ槌骨[つちこつ]、砧骨[きぬたこつ]、鐙骨[あぶみこつ]。槌と砧はいまいち納得できないのですが、鐙骨だけは一目瞭然、見て納得の形状です。

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■■【ロ】天の狭霧の神 [あめのさぎりのかみ]
【レ】国の狭霧の神 [くにのさぎりのかみ]

振動が伝わると、蝸牛[かぎゅう]の中にあるリンパ液が振動し、有毛細胞がその動きを感知する。

天の狭霧・国の狭霧の狭霧[さぎり]とは、言葉の霊と言とが霧のようなバイブレーションとなって耳の孔の奥へぐるぐる回りながら入り込んでいく様であります。言霊【ロ・レ】は共に螺旋回転の状態です。

『古事記と言霊』より

振動、すなわちバイブレーション。ぐるぐる回る螺旋運動、すなわち蝸牛[かたつむり]。

『古事記と言霊』には耳の内部構造のことまで詳しく書いてないのですが、実際に音が聴覚器官に伝わる仕組みを調べてみると、ぴったり一致しているので「これは…!」と思い、記事に起こした次第です。

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【ノ】天の闇戸の神 [あめのくらどのかみ]
【ネ】国の闇戸の神 [くにのくらどのかみ]

有毛細胞は感知した動きを電気信号に変換し、蝸牛神経に伝える。

細い耳の孔の奥に入り込んだ言葉は、その霊と言との波動が闇[くら]がりの戸に突き当たります。聴覚器官のことです。そこで言葉は改めて復唱されます。言霊【ノ・ネ】は宣[の]る・音[ね]に通じます。有音の神名である言葉が頭脳内で真名に還元されるために、まず音[ね]が宣[の]られることとなります。言霊【ノ】 は宣る・乗る・退く等の言葉に、言霊【ネ】は音・値・根・願う等に見られます。

『古事記と言霊』より

復唱というのは、有毛細胞に伝わった波動を、電気信号に変換する働きのことでしょうか。

そして、これはわたし独自の解釈ですが、闇戸[くらど]って、ブラックボックスの意味合いもあるんじゃないでしょうか。どのようなメカニズムになっているのかはよくわからないが、とりあえず入力すれば、出力される。しかし、その過程は闇に包まれているという。

解剖学的な知見に基づいた蝸牛の仕組みについての説明は19世紀から行われてきたが、蝸牛が硬い殻に覆われているため実験的な検証は困難であった。 1980年代ごろよりようやく生体外での実験が本格化したものの、その詳細な機構や機能については依然謎に包まれた部分がある。

蝸牛 - Wikipedia より引用

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【カ】大戸或子の神 [おおとまどひこのかみ]
【マ】大戸或女の神 [おおとまどひめのかみ]

電気信号が蝸牛神経から聴覚中枢に伝えられ、それが音として認識される。

言霊【カ】は掻き・掛く・借りる・貸す等に見られ、言霊【マ】は巻く・混ぜる・丸める等で考えられます。有音の神名が耳で聞かれ、復唱され、入ってきた言葉がどんな 意味を持っているか、と頭の中で掻き混ぜられ、煮詰められます。カマすなわち釜は物を煮詰める道具です。そのことによって言葉の内容が次第にはっきりし てきて、有音の神名が再び真名に還元されていきます。そして大戸或子の神は言葉の霊を、大戸或女の神は言葉の言(音)を受け持っています。

耳に入ってきた言葉が言霊【ノ・ネ】(宣音)で復唱され、次に言霊【カ・マ】でその内容・意味を「こうかな、ああかな」と大いに戸惑いながら了解されていく働きに対して、大戸惑[おほとまどひ]という男女神の名を当てたことなど誠に洒落ているではありませんか。

『古事記と言霊』より

体外から自分の中に「ぬっ」と侵入してきた怪しい[]の正体をここで突き止めていくプロセス。それによって次の【】()へ繋がっていきます。名をつけることが、正体を明らかにすることにほかならないからです。

しかし、ここで思うのですが、人が話した言葉を聞く、日本語ならそのまんま日本語として認識するってことはそんなに難しいことかなぁ。大戸惑いするほどのことなのだろうかと、ふと疑問に思いました。

自分の中に湧き上がってくる未知の想いや感情、未知の状況などを把握して言語化することのほうが難しくないですかね?こっちを「大戸惑い」というならまだわかるんだけどなぁ。

【カ】大戸或子の神/【マ】大戸或女の神の裏コトタマも妹背になっていて、父韻の【ヒ】於母陀琉の神/【ニ】阿夜訶志古泥の神であることは、以前書きました。父韻ですので、色と音と数の法則の色相環にも、その名が記述されています。

【関連記事】
あめのみくりや:裏コトタマ?もしかして大発見しちゃった?
あめのみくりや:裏コトタマについてさらに詳しく

【参考リンク】
色と音と数の法則(色相環) - あめのみくりや Lite -

裏コトタマ同士はけっこう似た意味合いになる。だから【カマ】の働きと【ヒニ】の働きは関連し合っていて、【ヒニ】のほうはまさに、心の裏側にこびりついたような名状しがたきものが徐々に煮詰まって、あるときその全体像がパッと心の表面に閃くような力動なのです。煮詰まっていくほうが【ニ】阿夜訶志古泥の神、閃くほうが【ヒ】於母陀琉の神と、陰陽の対になっている。

そのように煮詰める道具がカマ】ってことですよね。同音異義語でもありますが、鎌は刈り取る、収穫する道具。心の表面に完成した収穫物【ヒ】を刈り取る鎌。その根が【ニ】。【ヒニ】が中身で、【カマ】はその道具という感じか。

これらはすべての父韻とその裏コトタマに対しても適応できるかもしれません。また別記事で取り上げたいと思います。

話が少しそれましたが、声といっても、実際の声とは限らないなとふと思いました。心の声や霊の声を聴くときも、聴覚中枢って関係あるんだろうか。テレパシーとか?

そういうことも視野に入れて考えたほうが、なんかしっくり来る気がするんですよね。

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天名(あな):先天の十七音(父母音)【ウアワヲオエヱ・チイキミシリヒニ・イヰ】

未鳴/真名(まな):想いが言葉として組まれていき、発声される過程の、まだ発信者側の脳内や口腔内にある言霊。【タトヨツテヤユエケメ・クムスルソセホヘ】

神名(かな):発信者の元を離れ、すでに言葉として発声されて、空中を飛ぶときの言霊。【フモハヌ】

真名(まな):受信者の聴覚器官に伝わって、言葉として認識されていく過程の言霊。【ラサロレノネカマ・ナコ】

『古事記と言霊』本文中の挿絵をそのまま掲載します。

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【参考リンク】
日本語の起源・言霊百神

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2014年5月13日 (火)

被災地の置き去りにされたペットの件について

福島の置き去りにされたペットの件については、今思い返しても胸糞悪い。無事救出されたペットもいれば、つながれたまま餓死した犬や、閉じ込められたまま餓死した猫も少なくなかった。

犬や猫は常に人間の近くにいて、運命を共にしてるから、飼い主次第で、天国と地獄の差が激しいよね。

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

今回は、今更ではありますが、被災地のペットについて、あの状況で、一体どのように対処するのが正しかったのだろうと考察してみることにしました。

結論から言いますと、わたしはあのとき、飼い主が自主的に助けに行くべきであったと思います。

火事になったとき、周囲の制止を振り切って、燃えさかる火の中に置き去りにされた家族を救いに行くとか、川で溺れた子供を飛び込んで助けるという話はよく美談として語られます。それがたとえ最悪の結果になってしまったとしても…。褒賞が授与されることすらあります。

しかし、なぜ原発事故後の被災地ではそれができなかったのだろう。それが不思議でならない。もちろん、人間とペットの違いはあります。だけど、ここで挙げている例は、リスクにも差があります。

原発20km圏内に自分のペットを助けに行くことは、燃えさかる火の中に置き去りにされた家族を救いに行くとか、川で溺れた子供を飛び込んで助けるとかに比べれば、ずっと安全であったはずです。

もしこれらのリスクが同等と考えているなら、それは完全に間違っています。必要以上に放射能の害を煽って人々の良心や行動力さえ失わせてしまった、放射能ならぬ「放射脳」による被害というものが、まず第一にあげられます。

助けるためには多少のリスクだって必要でしょう?人間がたった少しのリスクすら負いたくないがために、つながれたり閉じ込められたまま置き去りにされた犬猫たちは、地獄の苦しみを味わって死ななければならなかった。

賢明な飼い主は、いくら禁止されていると言われてもそんなの無視して、助けに行ったそうですよ。私はそれが当然だと思います。

国の立場からすれば、建前上は、20km圏内は危険なので立入禁止って言うと思うんです。実際それは建前だったらしく、かなりの間、それほど警備は厳重じゃなかったそうです。だからペットを助けに行く時間は十分にあったはず。

国に禁止されてるからって自分のペットを餌も水もやらずに餓死させる飼い主ってなんなんだろう。しょせん、国に従属する家畜ってことか。じゃあ、おとなしく国に屠殺されても文句は言えないと思う。

自分がそんなふうに見殺しにされそうになったら必死に抵抗するんじゃないですか?置き去りにされた犬や猫だって、必死に生きようとしたはずです。決まりだから死ねって言われたら、はい、わかりましたって、おとなしく死ぬんでしょうか?それも餓死して。

助けることは、助けてもらうことと同じです。ペットはどんなときでも飼い主だけだから。飼い主しか守ってあげられる人はいないんですよ。多少のリスクを冒してでも、正論振りかざして邪魔してくる奴は張り倒してでも、自分が守ってあげなくちゃ。

だから飼い主が自主的に救いに行けばそれでよかった。それがペットという立場のグレーゾーンなのです。

結局、どれだけ本気で救う気があるのか、そのテストだったのでは?他人のペットなんて救う必要はないですよ。自分のペットは自分で守り抜く、それだけのことです。

自分が命をかけて守ったものは、それだけで価値があり、かけがえのないものとなって、心の中で輝きはじめる。人から見てどんなにくだらないものでも自分にとっては大切な宝物ってあるじゃないですか。ペットってまさにそういう性質のものだと思う。自分が魂を吹き込んだもの。自分の分け御霊。

被災地の見捨てられたペットを救うために頑張っておられるボランティアの方々もおられるのですが、わたしはそこまで優しくない。なぜなら、自分の猫が大切だから。

ペットを飼うってことは偏愛が前提だ。えこひいきが根底にあるからこそ「うちの子」は特別たり得る。博愛に溺れると大切な「うちの子」を守れなくなる。綺麗事の海で溺れ死にたくない。

放置されたペットは可哀相だけど、飼い主のカルマだから、本当は他人が背負い込むことはないんだよね。

信じていた飼い主からの裏切り、犬猫たちに対する残酷な仕打ちに対して、はらわた煮えくりかえるほどわたしも怒ってるけど、飼い主は自分の心の大切な部分を、自らの手で、最悪なやり方で殺してしまったも同然だから、ある意味、同情するべきかもしれない。

あ、もちろん、政府に対しても怒ってないわけじゃないんですよ。でも、やっぱり自分の愛するものの生殺与奪権を、他人の手に委ねてしまってはいけないと思うんです。

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

最後になりますが、これはもしかすると仕組まれていたものなのか?と思うこともあります。

檻の柵越しに餌を目の前にして、届きそうで届かない餌に鼻面を必死に寄せながら餓死していた犬の話を聞いたとき、これはまるで犬神だと思った。そういう呪術がありますよね。

飢餓状態の犬の首を打ちおとし、さらにそれを辻道に埋め、人々が頭上を往来することで怨念の増した霊を呪物として使う。

犬を頭部のみを出して生き埋めにし、または支柱につなぎ、その前に食物を見せて置き、餓死しようとするときにその頸を切ると、頭部は飛んで食物に食いつき、これを焼いて骨とし、器に入れて祀る。すると永久にその人に憑き、願望を成就させる。

犬神 - Wikipedia より抜粋

以前、被災地の猫が共食い?という記事についても取り上げたことがあります。このケース自体は、おそらく怪しい団体による捏造だと思いますが、被災地全体においては、やはり、弱肉強食の地獄絵図が繰り広げられていたものと思われます。

散々苦しみ抜いて、やっと生き残った家畜やペットには、殺処分という残酷な仕打ちが待っていました。それもまるで、蠱毒のようだなと思った。

犬を使用した呪術である犬神、猫を使用した呪術である猫鬼などと並ぶ、動物を使った呪術の一種である。「器の中に多数の虫を入れて互いに食い合わせ、最後に生き残った最も生命力の強い一匹を用いて呪いをする」という術式が知られる

蠱毒 - Wikipedia より抜粋

まるで、福島全体で、動物を使った呪術を行っていたようなもんじゃないですか?そのための生贄にされた、福島の犬猫たち。無数のペットや家畜の怨念が土地にこびりつくよ。

放射能がその場にあるということは、想いがより加速されるということでもあるんです。つまり、より怨念の本懐を遂げやすい土地になる。放射能のせいというより、動物の怨念のために、人が住むのに適さない土地になる。

原発20km圏内は、今後は、動物たちに解放するのが、正しい土地の使い道かもしれません。

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2014年5月 8日 (木)

うちの猫の家系図

Catsfamilytree1

うちの猫たちの家系図を書いたので、UPしておこうと思います。

今現在うちにいるのは、きら、くくる、はる、さくら、ぴか(ひかり改名)だけです。

きらの兄弟であり、くくるの父親でもあるカブキ、そしてきらの姉妹のさらちゃんは宮津にいた頃に行方不明になってしまいました。

だけど今までも、そしてこれからも、きらちゃんはさらちゃんとふたりぶん、くくるはカブちゃんとふたりぶん、いつもそう思ってます。

もちろん生きていてほしい。どこかで幸せに暮らしていてほしい。里子に出したきらの子供たちも幸せでありますようにといつも願っています。

いつか、これは本当に夢なんだけど、みんな一堂に会して、感動の再会をしたいなぁ。そのときはきっと、まりも一緒だね。わたしはまりとふたりぶん、なんだよ。

その願いを込めて、それぞれの猫たちの似顔絵を描きました。ちゃんと一匹一匹個性も違えば顔も違うからね。色や模様だけじゃなくて、ちゃんと顔を描き分けないといけないわね。

まあまあ、うまく描けたんじゃないかな。同居人もみんな似てるって言ってくれました♪

背景のテキスタイルは、わたしが初めて自分で張り替えた椅子の生地を撮影して取り込みました。

↓この椅子。特別出演:ぴかちゃん

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◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

おまけ

きら・さら・かぶきの写真

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こちらは保護直後。天橋立に捨てられていて、売店のお姉さんが気にかけてくれていました。

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【関連記事】
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