カテゴリー「Björk」の4件の記事

2014年4月28日 (月)

Welcome to New World

前回は、「ルーシー現象」の説明の一環として、『多重人格探偵サイコ~雨宮一彦の帰還』のあらすじを紹介しました。ルーシー現象という言葉も、このドラマからお借りした便宜上のものです。

ルーシー現象とは、タナトス、つまり死の欲動を大規模に引き起こす力動、とでも考えればよいでしょうか。それをわかりやすく表現したヒントのような作品が『MPDサイコ』であったというわけです。

このドラマは2000年5月に放映されました。

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そして、ここからまたビョークの話題に戻るのですが、同じく、2000年5月に、ビョークの主演映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』がカンヌにて初公開されました。

Dancer in the Dark (2000) - Official Trailer

あらすじ。以下、Wikipediaから引用。

舞台はアメリカのある町。チェコからの移民セルマは息子と二人暮しをしていた。貧乏だが工場での労働は、友人に囲まれて日々楽しいものだった。だが彼女は先天性の病気で徐々に視力が失われつつあり、今年中には失明する運命にあった。息子もまた、彼女からの遺伝により13歳で手術をしなければいずれ失明してしまうため、必死で手術費用を貯めていた。

ここからはわたし個人の感想を交えながらの説明です。

その大切に貯めた手術費用を、信頼していた隣人に盗まれてしまうわけです。そして取り返しに行こうと思ったら逆に泥棒呼ばわりされ、返してほしかったら殺せと言われて、ほぼ不可抗力的に殺させられてしまうのです。強盗犯に仕立て上げられてしまったのです。

金を盗んだ隣人は、妻の浪費癖や生活に疲れ、実は自殺願望を持っていた。しかし警官である彼にとってはメンツは命よりも大切だったため、本当は自分が泥棒なのに、強盗の被害者としての死を選んだのです。目の見えないセルマはその犯人役に仕立て上げられてしまった。

そして裁判が始まり、隣人が金に困窮していた事実を、自分を陥れた相手であるにもかかわらず、二人だけの秘密だからとセルマは律儀に黙秘し続け、結局死刑になってしまいます。

息子の手術費用で弁護士を雇えとアドバイスする友人にも耳を傾けず、当初の悲願どおり、セルマは医者に手術費を預ける。

友人は「息子に必要なのは母親だ」と叫ぶが、セルマは「いいえ、目よ」と言い張って自分の命と引き替えに、息子に目の見える未来を授けるという目的を果たしたのだ。

そんなこんなで死刑執行の日、息子の手術が成功した旨を執行室で聞くセルマ。あとは何も心残りがないかのように、セルマは自分の心の、魂の拠り所であった歌を歌いながら、絞首刑に科せられるのです。

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という、まあ、どう考えても、いろいろとおかしな話なのですが。まずセルマの融通が利かなすぎる。死刑囚の息子なんて汚名を一生背負ったまま生きていかなければいけない息子さんがむしろ気の毒…

多くの方の疑問と同じように、やはり、セルマは息子のためというよりは、自分自身の美学を完成させるために、自分の意志を貫いたかのように思われます。

盲目というのは盲信のメタファーであり、盲信している人にとっては他者というものは存在せず、とにかく自分の内的世界だけなのですよね。

母親が自分の命と引き替えに、さらに死刑囚の汚名を着てまで息子に見せたかった未来とは、一体。息子の目には、未来がどのように写るのだろう。

むしろ、こんな世界壊しちゃえ~ってなりませんかね?(;^ω^)

視聴前にTwitterでこのように予想していたのですが、当たらずも遠からずという感じでしょうか。

というわけで、この映画もまた、タナトスの存在が色濃く感じられる映画なのです。

映像は色彩が抑えられ、カメラワークもわざとホームムービーのような不安定な感じに仕上げられており、ビョーク本人も美貌とはいえないルックス。映像の見た目の美しさというのはあまりないのですが、所々に入っているミュージカルシーンだけは大変切なく美しく、本当にそれだけが救いのような映画です。

すべては音楽のために。というわけなのでしょうか。

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ここからやっと本題。

ダンサー・イン・ザ・ダーク』と『MPDサイコ』の関連性について。

なんの関連性もないこの二つの映画、一つはカンヌ国際映画祭の最高賞を受賞した名作、一つは人々の記憶の墓場に埋もれたB級ホラーなんで、比較するのも失礼かもしれないけど、まあ、だからこそ、このブログの意義があるというか、誰もやらんことをやるんですw

この二つの作品に共通するのは、公開時期と、<目>と、タナトスと、主題歌のタイトル。ビョークのほうはNew World [新世界]、サイコのほうはStrange New World [奇妙な新世界]。挙げてみるとけっこうありますね。

Björk - New World (ending of Dancer in the Dark)


If living is seeing
I'm holding my breath
In wonder - I wonder
What happens next?
A new world, a new day
To see, see, see...

生きることが 見ることなら
かたずを呑んで 見守るわ
ああ 胸を躍らせて
次に何が起こるのか
新しい世界 新しい日々を
見届けるわ この目で…

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さらに、ビョークについて調べてみると、1996年に興味深い事件が発生しています。

ビョークの婚約報道にショックを受けた熱狂的なファンが、ビョークに爆弾を送りつけ、自分は自殺して、その一部始終をビデオに記録していたのです。本人は首尾よく自殺を成し遂げたが、爆弾のほうはビョークに届く前に警察が発見したとのこと。

当時の報道番組にそのビデオの一部が公開されており、現在でも視聴することができます。いわゆる海外の「キモヲタ」というやつでしょうか。やっぱり海外はスケールが違うね。

【参考リンク】
【ニコニコ動画】【基地外注意】ビョークのストーカーによる自殺実況ビデオ

そして興味深いのが、最近自殺実況って流行ってますが、自殺実況の元祖が、このビョークのストーカーなのではないでしょうか。

1996年ですから、1998年hideの自殺(謎の死)より前です。ここでhideの名前を出すからには、やっぱりこれもルーシー現象の一環であると、わたしは思っています。1998年から日本で若者の自殺率がうなぎ登りになっていることからも、それがわかります。

だからわたしはhideが元祖かと思ったのですが、それ以前にビョークの事件があったので、これも見過ごすことはできないと思いました。

もちろん、それ以前にもミュージシャンの自殺というものは昔からあります。カート・コバーン(1994年没)しかり。わたしは当時のことをあまりよく知らないのですが、アメリカではやはり後追い自殺等あったのでしょうか。

ここで言うルーシー現象、正式には、「ウェルテル現象」というものに近いかもしれません。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』にちなんでいるそうです。

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わたしは何も、誰かを糾弾したいわけではありません。魅力的なものというのは、得てして、このような危険な吸引力を持つものだと、そのことをただ言いたかっただけです。

美に魅入られるのも、死に魅入られるのも似たようなもの。

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2014年3月29日 (土)

テントウムシの七つの悲しみ

ビョークの誕生日の惑星と石と花、銀河の署名、ダイモンは次のようになっています。

ビョーク【/】【橄欖石/銀杏】【白い宇宙の風】【天道虫

まず目を引くのが、ダイモンの天道虫テントウムシ)。これはとても珍しいダイモンです。というのも、テントウムシが出る条件というのは、星座にかかわらず、名前の画数の合計が11画であることだからです。

【参考リンク】
ダイモン判定ツール - あめのみくりや Lite -

判定はA~Zのアルファベットの表記で行います。ビョークの場合は正式名称はBjörkですが、ここは英語表記のBjorkで判定しています。この画数が11画なのです。

通常は姓名で判定しますので、11画に収まることは少ない。特に日本人の場合はローマ字で判定しますので、余計に画数が増えてしまい、日本語の姓名で11画に収まることはめったにないと思われます。

ビョークの場合はさらに、アイスランド人の名前の特殊性も関わってきます。アイスランドには、なんと、姓というものがないらしいんですよ。姓の代わりに、「○○(父親の名前)の娘」や「○○の息子」という父称というものを名前の前につけるそうです。(ちょっと部族っぽい?)

例えばビョークならビョーク・グズムンドッティル[Björk Guðmundsdóttir](グズムンドゥルの娘)となります。しかし、これは、姓とは違うものなので、判定では用いないことにしました。

「Björk」という名前で広く大衆に知られている上、これは正真正銘の本名で、芸名やあだ名ですらないわけです。ビョークは本当に生まれたときからテントウムシのダイモンを持っているというわけです。

テントウムシに関しては、以前も記事に起こしましたように、とても重要な意味を持つ昆虫です。うちの看板娘の三毛猫まりのダイモンでもあります。(猫も苗字がなくて名前だけだからね!)

このようにつながっていくから、おもしろいものです。

【関連記事】
あめのみくりや:天道虫とお天道様とミカエル
あめのみくりや:スペクトルの織物

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上記記事の焼き直しになりますが、再度テントウムシについてのまとめ。

テントウムシとは、天道虫と書くように、お天道様=太陽と深く関わっている。特にナナホシテントウは可愛らしく、そのモチーフは女性や子供に大人気、虫界のアイドル。ラッキーアイテムとして、よく四つ葉のクローバーと共に描かれます。

古代エジプトで太陽の虫といえばスカラベフンコロガシ)。テントウムシと同じく甲虫であるが、そのイメージは天と地ほどの差がある。テントウムシがスターやアイドルなら、スカラベは縁の下の力持ち。

さらにスカラベについては、こちらの記事を。川久保玲さんについての記事です。

【関連記事】
あめのみくりや:芸術=再構築=禊祓

テントウムシとスカラベは、ミカエルとルシファーのように、実は表と裏の関係なのではないだろうか、というのが上記記事についての概要です。

テントウムシ=ミカエルには違和感がないのですが、スカラベ=ルシファーには自分でも完全に納得はできなくて、最後に疑問を書いているように、ここはやっぱりちょっと違ったみたい。

太陽を司る天使(熾天使)といえば、ミカエルと言われていたり、ウリエルと言われていたりします。特にウリエルは太陽の運行を司る天使と言われる。

上記のこともふまえてちょっと考えてみると、ミカエルは太陽光線(=テントウムシ)で、ウリエルが太陽の運行を司る天使(=スカラベ)なのではないだろうか。

太陽の運行…たいようのうんこう…たいようのうんこ…フンコロガシ…

とコトタマ的な語呂も合いますw

ウリエルが特化しているのは智恵です。エデンの園を追い出されて以来、人間は智恵によって一歩一歩苦難を乗り越えて生きていくのが宿命だ。その姿はまるでフンコロガシのよう。

わたしたち人間にはこの地上を楽園にする使命があるのだ。その地上に降り注ぐ天界のエッセンス、それこそが太陽光線。これなくして人間はおろか、どんな生命も生きてはいけない。

…ま、深海の生物はそんなこともないかもしれませんが…w

夜空を照らす月明かりは、ミカエルではなく…

多くの芸術家は、強烈な反面強い陰影も生み出す太陽の光より、オブラートがかかったような、コントラストの低い、優しい月の光のほうが好きかもしれませんね。

そういえばルシファーですが、昆虫だとホタル)になると思います。ホタルの発光成分はルシファーが語源のルシフェリンといいます。

蛍の光は夜空を照らす月光と似ています。太陽光と月光の関係こそが、ミカエルとルシファーの関係なのかもしれません。

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テントウムシからだいぶ話がそれてきてしまいました。閑話休題。

西洋では、テントウムシ[ladybug](特にナナホシテントウ)は、聖母マリアの七つの悲しみを背負っているという言い伝えがあります。

過去記事で、わたしはナナホシテントウの赤地に黒い点を、太陽の黒点にたとえましたが、太陽黒点は、太陽の他の部分に比べ温度が低いので、暗く見えるのだそうです。

つまり、その部分だけ、光が翳っているわけですね。

光が翳る=すなわち、悲しみ。しかし、これも過去記事で何度か書きましたが、愛の語源とは、光が翳ることであり、それは悲しみのことなんだよ。

つまり、太陽の黒点とは、愛なんだ。

【関連記事】
あめのみくりや:愛という字は
あめのみくりや:at、鬱、愛はヒルコの音

テントウムシのダイモンを持つ人というのは、テントウムシと同じように、聖母マリアの七つの悲しみを背負っているのかもしれません。

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2014年3月28日 (金)

白という色

さて、ビョークについての続きです。

香りに続いて、今度は色についてなんですが、わたしはビョークを見ていると、どうしても のイメージが浮かんできてしまいます。

ヴェスパタイン・ライブの衣装の色や、『All Is Full of Love』や『COCOON』のPVや、アイスランドの氷のイメージからというのもあるかもしれませんが、衣装はどちらかというと原色の派手派手系が多いにもかかわらず、それらはスルーして、なぜか白なんだな。

そういえば、前回の記事で、ビョークの香りは白檀と言いましたが、白檀にも「白」という字が入ってますね。

Björk - All Is Full of Love

ビョークは本人の才能もすごいのですが、才能のある人を集める才能もすごいのです。これ以外と希有な才能なのですよ。

だって、才能ある人ほど、プライドだって高いでしょう。技術や才能のある人ほど、人の助けを借りずになんでもひとりでやろうとします。でも、ビョークはそこが違う。いとも簡単に多くの人の協力を得て、壮大な合作を作ってしまいます。

これが白という色ならではなのではないかなぁ。多くの才能あるアーティストが、ビョークという真っ白なキャンバスに思い思いの色を描く。もちろん、ビョークはそれを、ほかの誰も到達し得ない、独自の世界観としてきっちり自分のものにする。

ビョークを手がける、彼女と一緒に仕事をして、彼女に捧げる。それ自体がまるで自分自身の喜びであるかのように、彼女にはあらゆる分野の才能溢れる協力者が絶えません。

それだからこそ、彼女はいくつになってもどこか幼さを残していて、いつまでも枯渇しないのだろうと思われます。むしろ、初期より後期になるほど進化しているという珍しいケース。

白という色の持つ無垢とかイノセンス、まさにビョークそのものではないですか?商業主義に走らない潔癖さも白という感じ。 (商業主義に走らないのにこんだけメジャーなのもすごいけど)

Björk - Innocence (音量注意

ところで、ビョークの声って独特ですよね。わたしは彼女の歌声を聞いていると、幼女と老女の二つの相が浮かんできます。なぜかその中間の大人の女はいなくて、なのです。この二つはね、実は魔女の条件なのですよ。

魔女といえば黒を普通は思い浮かべますが、ビョークは白なので白魔術なのかもしれませんw

ちなみに、わたしの中では、ケイト・ブッシュ西の魔女で色は赤、ビョーク北の魔女で色は白、川久保玲東の魔女で色は黒というイメージです。

南の魔女もどこかにいるのでしょうか?まだわかりませんw

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次の記事からは、恒例の、誕生日の石と花、銀河の署名、ダイモンについてやっていきます。

テントウムシという非常に珍しいダイモンが出ましたねぇ…!

ビョーク【/】【橄欖石/銀杏】【白い宇宙の風】【天道虫

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2014年3月 2日 (日)

ビョークは白檀の香り

最近また音楽の趣味がちょっと変わってきて、今一番よく聴いてるのがビョークBjörk)です。

以前、ビョークについて、中途半端に言及してそれっきりになってたのですが、ちょうどいい機会なので、ちゃんと書こうと思います。

【関連記事】
あめのみくりや:ブラックサン・日食を纏う女

ビョークの音楽を初めて聴いたときの印象は、メロディがなくて、リズムだけで構成されているような単調な印象だったのと、それでいて聴いていると底なしの鬱に落ちていくような気がして、昔はどちらかというと苦手()だった。

 わたしは基本的に陰鬱系の曲は好きなのですが、ビョークの場合は、例えばブリグリみたいにファッション的にプチ鬱を楽しむという感じじゃなくて、マジでシャレにならんところまで引き込まれていきそうだから。同居人などは呪われそうだから聴きたくないとまで言います(;^ω^)

しかし、一度その魅力と類い希なる才能に気がつくと病みつきになる。ビョークの音楽は、楽曲というものはメロディ主導という常識を覆す。その覆され方というのが、なんとも心地よいのだよね。

ああそうそう、この感じは、hideのソロ曲と出会ったときにも似ている。というか、hideの存在によって、まるでセントラルドグマを覆されるように、見事にそれまでの自分の中の常識がひっくり返ってしまって、それが新しい土台となって、以前は共鳴しなかったビョークの曲が、未熟なわたしの耳にもよく聞こえるようになってきたのだと思う。

【関連記事】
あめのみくりや:hideのこと プロローグ

でも、メロディがないような気がするってのは、完全にわたしの誤解であって、ないわけじゃなくて、従来の慣れ親しんだ感じとは違うってだけなんですよね。だからすんなり入ってこなかった。つまり、キャッチーでないというだけ。

例えば現代音楽(無調音楽)と比べればちゃんとリズムもメロディもありますよね。その中間的な感じですね。

通常なら、音楽と共鳴するときって、頭らりぱっぱになって、やたら多弁になって、すごくいろんな言葉や文章がどばーっと脳内に流れてくるのですが、ビョークの場合、今までと違って、あんまり言葉は出てこない。頭は常にクールダウン。ぐわーって上がらない。

自分の反応が従来と違う。しかし、これはこれでありなんじゃないかと思うようになりました。たまには自分自身の常識も覆してみるべき。

感覚でいうなら、冬場のサンダルウッド白檀)の精油のように、心の中に滴る粘度の高い重い涙。粘性が高いので、なかなかその一滴が落ちてこないんですよ。

白檀の香りはボトムノートで、最初の香り立ちは弱い。つまり、キャッチーではない。掴みが弱い。だけど、特に和の香りのブレンドには必須ともいえるぐらいの重要な香りで、常に香り全体の底支えをしていて、主張の激しいトップノートやミドルノートが揮発してしまったあとも、いつまでも深い香りを漂わせる。持続性に優れる。

そう、ビョークの音楽は、まるで白檀の香りのようだ。

逆に、わかりやすいキャッチーな曲というのは、トップノートやミドルノートなのだろう。そして、それらは揮発しやすいというのが運命だし、リズムと比べてメロディというものは枯渇しやすいという運命も持っている。

だから、作曲家がいつまでもヒットする曲を書き続けるのは難しいし、たとえ一発当ててもすぐに飽きられる。世界的にメロディがすっかり枯渇し尽くしてしまって、まるで合成香料みたいなチープな曲が蔓延している昨今ならなおさら。

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以前は、ケイト・ブッシュとの比較として、ビョークを挙げました。

ケイトの香りはドラゴンズブラッドだと以前書きました。ドラゴンズブラッドも竜血樹という木の樹脂なんで、基本はボトムノートです。

ただ、以前わたしが持っていたドラゴンズブラッドの香油のイメージからか、自分の中ではトップノートやミドルノートのイメージもあります。白檀と比べるとずっとパンチのある香りです。

【関連記事】
あめのみくりや:香りの話あれこれ

その初期のパンチ力というのは、すでにケイトからは失われていて、昔と比べるとずいぶん弱々しく枯れてきてしまった印象は拭えません。まるで何十年も引き籠もって出てこない太陽のような。

ケイトが引き籠もっている間に出てきたビョークという怪物に、すべて持って行かれたような、「今」を焦点として考えると、ある意味完敗のような状態ではないかなと思います。

そのビョークの怪物性について、次記事からもうちょっと掘り下げて書いてみようかと思います。思いっきりにわか()なんですが、にわかだからこその、新しい視点でなんか書けたらいいなと思います。

 わたしはいつもそう。なんでもにわかでいっちょ噛みなので、コアなファンやマニアの方々のお怒りを買ってしまうのではないかと、わりといつもびくびくしていますw だからいつもなるべく目立たないように、ねw

ビョークのライブで一番のお気に入りのビデオを貼っておきます。一般的にもやはりこのライブの評価が最も高いようです。

Bjork - Royal Opera House

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