カテゴリー「音楽・芸術・芸能」の84件の記事

2015年10月 4日 (日)

百年続く僕の庭

気がつくともう1年以上立ってしまいました。ずいぶん久しぶりの更新になってしまいましたが、このブログ、まだ遺棄したわけじゃありませんのでw

なんかけっこう思うところはあっても、なかなかまとまった文章にできずにいます。書いては消して書いては消して。結局UPせずにストックしたまま。

で、今回書こうと思ったのは、これはけっこう大ネタでは?と思うことがあるからです。まあ、メモがてらに書いてみます。

以前、河合その子ちゃん絡みで書いた記事に、ロリータ℃のアルバム『ロリータの温度』(2001)に収録されている『うしなう』という曲を紹介しました。その歌詞(ナレーション)なんですけど、改めて聴いていると、あれ?と思いました。その冒頭部分を引用してみます。

百年続く僕の庭に咲く 花や木に水しぶきが上がる
その水際の向こうに 君が涼しげに佇む
僕は想いをそっとハートにしまい込む

…百年続く、花、水、木。これって…一青窈の『ハナミズキ』に似てない?May J.がカバーしたことで再び脚光を浴びたのは記憶に新しいところです。

【関連リンク】
一青窈 ハナミズキ 歌詞

『うしなう』も含めた『ロリータの温度』の全曲作詞は少女漫画家であり小説家の白倉由美。作曲は後藤次利

クレジットに記載はありませんが、『うしなう』のナレーションを河合その子が朗読しています。その子ちゃんも含めてロリータ℃というグループ名なのかと思われます。メインボーカルは平野綾が務めています。ほかにも2人ぐらい歌ってると思われますが、詳細はわかりません。

ネットをざっと検索してみたところ、この歌の歌詞を読めるサイトは見つかりませんでした。なのでリンクを貼ることもできませんので、当サイトにちょっくら全文掲載してみようかと思います。本当は違法だと思いますが、だったらちゃんと正当な方法で誰か読めるようにしてくださいwそれまでは載せておきますね。

斜体の部分がナレーションです。まあ、ほとんどですね。

ロリータ℃ 『うしなう』
作詞:白倉由美
作曲:後藤次利

百年続く僕の庭に咲く 花や樹に水しぶきがあがる

その水際のむこうに 君が涼しげに佇む
僕は想いをそっとハートにしまいこむ

十年前に失踪した弟が
君を連れて不意に戻ったのは一年前
まだ子どもの面影を残した彼らは
左手の薬指に互いの名前を書いた指輪をしていた

違う惑星にうまれ めぐりあった運命の恋人たち
雨という名前の犬が 尻尾をふって
庭に死んだ金魚を埋めるふたりのまわりをまわってる

憂鬱な未来に思いを馳せる
灰色の空が西から青にそまり 虹が架かる
なんて切ない光景
弟の左手の薬指がきえた
同時に弟も消失した

満月で揺れる セロファンのマリアージュ
夜に漕ぎ出す ささやかなハニー・ムーン
羽ばたく幾つもの 小さな想いをこめてる
うしなう
愛があふれてゆくよ
誰にも言えない秘密があるよ
でも僕らはストーリィ でられない
そして……

“百年続くものはなんでしょう?”
君の微笑みがこぼれるたび
答えをいいたくなってしまう
それはね 愛なんだ
誰でもそれをもってうまれてくる
だから失われることはないんだよ
その幾つもの 小さな想いをこめて
弟の携帯のボタンを押す

ちいさなテレフォンには「圏外」の文字
「あのひとは圏外にいるの?」清らかな君は首をかしげ
僕の微熱は止まらない

君は細い手足で 飛ぶようにふんわり歩く
そしてある日 彼女も消える

三年後 彼女が戻ってくる
弟の残した小さな男の子の手をひいて
もう僕は誰も うしないたくはないから
庭のタチアオイはなにも語らない
そして 僕はまた秘密を庭に埋める

いつかこの想い 叶う願望(ゆめ)を殺した
闇に漕ぎ出す ささやかなスイート・ムーン
胸の鼓動傷つけ 空見上げると
記憶すら うしなう
愛があふれてゆくよ 誰にも言えない秘密があるよ
でも僕らはミレニアムを歩めない
きっと……

違う惑星にうまれ めぐりあった運命の恋人たち
雨という名前の犬が 尻尾をふって
庭に死んだ金魚を埋めるふたりのまわりをまわってる

百年続く僕の庭に咲く 花や樹に水しぶきがあがる
その水際のむこうに 君が涼しげに佇む
僕は想いをそっとハートにしまいこむ

一人称「」、二人称「」、「百年続く」、「」「」「」、さらには「」、「水際」という歌詞も入ってますよね。庭のハナミズキ庭のタチアオイ。あと、歌詞全体の根底に流れている、「僕」の人に言えない、ひとりで抱え込んだ秘密の重み、そして恋人たちの長寿と幸せを願う祈りも一致しています。

この曲とどっちが先なのか後なのかよくわからないのですが、この曲のモチーフとなった(あるいはこの曲をモチーフにした)小説も存在しています。作者は同じ白倉由美で、短編集『おおきくなりません』収録の『世界が文学だったらいいのに

以前も書きましたが、これは「庭に愛する者の死体を埋め続ける男」の話なのです。

この男「静寂薫(しじま・かおる)」は陰鬱とした旧家の、自殺家系の最後の生き残りの当主であり、その庭には先祖代々の自殺した家族の死体が埋められている。男は墓守でもするかのように、時が止まったかのような静寂の中でひっそりと生きている。そして弟もまた愛する彼女を残して自殺してしまいます。

弟の光(ひかる)は兄とは母親が違うということなので、おそらく妾の子でしょうか。事情あって本家に引き取られたが、居づらいのか家出を繰り返していた。そして彼女を連れて帰ってきたかと思ったら突発的に自殺してしまう…しかしその死の真相は兄しか知らない。

小説では自殺なのですが、兄によって語られる『うしなう』の歌詞を読むと、兄が殺したんじゃない?としか読めないところがちょっと怖いところです。しかも殺す動機も十分です。兄は年の離れた弟の恋人である儚げな少女・野ばらを愛してしまっていたからです。横恋慕というやつですねぇ。

さて、これが一青窈の『ハナミズキ』となにか関係があるのか、それをちょっと考えてみてもいいかなぁなんて思います。

一青窈といえば、小林武史と不倫関係にあったことで知られていますが、この小林武史というのが、実は後藤次利と何度も一緒に仕事をしたことがあり、おニャン子関係のキーボード演奏者としても活躍していました。河合その子や渡辺美奈代、工藤静香のアルバムのクレジットにもその名が記載されています。

また、後藤次利がルーシー・モノストーンなら、小林武史はリリイ・シュシュという一時流行った架空のミュージシャンつながりでもあります。

小林武史の音楽には「水」の要素を強く感じます。ただ、水はひとつのところに留まってはいません。次々とより低い場所低い場所へ流れていく性質があります。

「水」は今どこにあるのか、それは誰も知りません。

この続きはまたあとで書こうと思います。長くなっちゃったのでここでいったん切りますね。次の記事からは、水のありかについてと、『うしなう』と『ハナミズキ』の世界観を照らし合わせてみて何が見えてくるかを書きたいと思います。

一応、動画を貼っておきます。

May J. 『ハナミズキ』

本家は一青窈ですが、当ブログ的にはMay J.で。


ロリータ℃ 『ロリータの温度』 フルアルバム

『うしなう』は5曲目(19:45~)。サントラというよりコンセプトアルバムなので通して聴いたほうが世界観を理解できると思います。1曲目の最初の歌詞が、実はすべてを物語っていたりします。

【関連記事】
あめのみくりや:「MPDサイコ/ロリータ℃」カテゴリ

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2014年7月24日 (木)

Melt the frozen heart!

YouTubeでMay J.の動画を見まくっていて、一番気に入ったのがこれ。アメリカ国歌独唱。右はついでに君が代独唱。

【左:2012 03 29 メジャ―リ―グ開幕戦 米国歌独唱 May J.】

まさに、どストライク。心臓を撃ち抜かれました。悲鳴のような歌声が心臓に突き刺さり、胸がズキズキドキドキ痛んで涙が出てきた。

絵的に言えば、日本国籍のイラン人がアメリカ国歌を歌うというシュールな図だと思うのですが、May J.には国家や民族意識など意味をなさない。

【右:2012.03.26 巨人vsマリナーズ 君が代独唱 May J.】

別の日に君が代も歌ったようなのですが、こっちはちょっと、お世辞にも上手いとは言いかねましたwやっぱりMayちゃんは英語のほうが得意だね。

そしてこれ。

2014/06/22 May J.が母の故郷イランに初めての里帰り 3/4

モスクでレリゴーを歌う許可が下りたことにまずびっくりしたんだけど 、イランという国は、かつてアメリカの傀儡国家だった歴史もあり、案外西洋文化というものに緩いかもしれませんね。

まあ、今現在は建前上は厳格なイスラム国家なのですが…、でも本当にそうなら、絶対に許可されないと思うの。だってディズニー映画の主題歌だよ?モスクでアメリカ国歌歌うに等しくない?ないか?w

ところで、May J.は以前にも、ディズニーの曲をカバーしたことがあります。それがこれ。リトルマーメイドの『Part Of Your World』、R&Bテイストのカバーです。

これももうすご~~~~~~~~くお気に入りで、何度も繰り返して聴いています。

Part of Your World - May J.

Mayちゃんはけっこう曲によって声が違うというか、まるで九官鳥のように原曲の声を真似してみたり、本当に不思議な声帯をしています。

そういえばその子ちゃんも「七色の声」なんて言われていましたね。歌によって声色を使い分ける人でした。

余談ですが、その子ちゃんもとにかくライブの人だった。CDよりライブのほうが上手いぐらいだった(歌詞さえ忘れなければw)。

歌唱力はまあアイドルにしては上手い程度で比較にはなりませんが、声質は伸びやかで煌びやかで透明感があり、ハイトーンなのにキンキンうるさくもなく、意外と低音も頑張ってたり(ちょっと不安定になりがちでしたが)、とにかく魅力的な声をしていた。

声に「泣き」の要素が強いところがMayちゃんとその子ちゃんの共通点かもね。すごく心を取り込まれる歌声です。さらにさかのぼると、ケイト・ブッシュが元祖「泣き女」かもしれません。まるでバンシーの泣き声や、人心を惑わせる人魚の歌。

May J.の声はそこまで甲高くはありませんが、中高生のときならともかく、大人となった今のわたしの耳には、あんまり高音よりも、中低音のほうが心地よいのですよね。

で、このリトルマーメイドのカバー曲なのですが、May J.が歌っている歌の中で、わたしはこの声が一番好きです。(まだ全部CD届いてないので今のところは)

まるで海の中で歌っているようなゴボゴボしたエフェクトが一部かかっていますが、それは無関係に、この声がもうエンドレスリピートしていたいぐらい好き。

なので、ぜひまたこの声で歌ってほしいなという希望を書いてみたりなんかしたりして。

そしてこれ。なんかすごいものを見つけてしまった。なんという才能だろう

May J. デビュー前 16歳 Pre-debut May J. sings "Beyonce" at 16 years old

デビュー前のMay J.には野生の、熱い血がたぎるような、生々しいエネルギーを感じる。まるでその子ちゃんと同じ誕生日の石であるブラッドストーンのように!

こちらがソニー時代、18歳頃の映像。めちゃくちゃ格好いい。メジャーレーベルでこれだけのものを作っておいて無名だったなんて信じられない。本当に売る気があったのかw

DO tha' DO tha' (2007)  - May J.

まず、最初に感じたことを書きます。

楽曲やビデオクリップのクオリティとしては文句なしに素晴らしい出来なのですが、デビュー前と比べると、すでに根っこの部分が空洞化しているような…?まるで型に嵌めるように整えられて小綺麗になっているのですが、その分パワーは減っている。

まるでショーウィンドウに並べておくための非売品のサンプルみたい。

その子ちゃんもそうでした。子供の手の届かないところに置いてある、ガラスケースの中に入った綺麗なお人形みたいだった。

それにしても、彼女の歌の日本語歌詞と英語歌詞でこうも聞こえ方が違うのは、母方の血が日本語によって封じられているのかもしれない。日本語には母音を封じ込める作用があるから。

しかし、エネルギーの法則的に、消費もされていないものがなくなることはないんですよ。ほとんど売れてない=消費されていないってことだから、どっかにまだ残ってるはず。

このあたり、どうもソニーが関わってるんじゃないかと思われるので、ちょっと調べてみようと思います。それはまた次回以降の記事に持ち越し。

この記事を書いている時点ではまだオリジナルアルバムは聴いていません。一応ひととおりそろえてみたので、今、到着順に聴きまくってます。

またなんかわかってきたら書こうと思います。あと、例によって、ダイモンや法則的なことなんかも追々。

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

その後、順次CDをを聴いているのですが、わかってきたことは、これは未来のために降ろされていた情報だったということ。だから発売時点であまり多くは売ることができなかった。といっても建前上は売らないわけにもいかないので、頑張ったけど売れませんでした、という体裁作りをした。「売れていなかった実績」を作った。

すべては、しかるべき時期、しかるべき相手に確実に送り届けるために。そのときが来るまで凍結されていた。それが今、解凍を始めている。

あと、彼女の日本語歌詞に関しても、だんだん自分の中ですり合わせができてきて、ダイレクトに届くようになってきました。

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2014年7月20日 (日)

「May J.の歌はなぜ心に響かないのか」について

では、ここから本題。May J.の声質の謎について。

一番最初に感じたことは、「本人の本当の声がよくわからない」ということです。そのときのツイートを引用します。

食欲だったり性欲だったりという人間の生命活動を行う一番根っこの部分が空洞というのでしょうか、一言でいえばルーツが不明ということです。ルーツというのは、民族意識と大きく関わってきますね。

民族意識[みんぞくいしき]
national consciousness

他民族との接触・交流あるいは対立のなかで,人種的表徴・言語・文化・生活習慣の相違から素朴に感知される自民族への帰属感を基礎として形成される社会意識。他民族と区別され,また他の小共同体を超絶する共同体として,自民族を意識するところに成立する。

もっと簡単に言うと、民族意識とは、「ある民族に属しているという自覚。同じ民族の仲間という連帯感。」

May J.の歌はいくら日本語で歌っていても、日本人の民族意識には訴えかけていないので、心に響かないとか、ただ機械的に歌ってるだけと感じる人が多いのです。彼女の歌は民族意識等に縛られない、純粋な愛によってでしか共鳴しない。

ところがですね、英語だとまた話が変わってくるのです。

彼女はなんと、自分で作曲もするらしいのですが、その自作曲を聴いて度肝を抜かれた。これはまるで別人?と想うほど、いきなり心に響いてきたのです。

May J. - For You / Colors

May J.のほとんどのオリジナルアルバムの表題曲が、英語詩の自作曲になっているようです。アレンジはピアノやアコギがメインでシンプルです。ピアノは自分で弾いてるのかもね。哀愁の漂うなかなか素敵な曲です。地味すぎて絶対に売れないだろうけど、わたしはこっちのほうが好きですね。

中にはInterlude[間奏曲]とついているものもあるように、いずれも短く、アレンジも簡素な小品なのであんまり目立ちませんが、なんといっても表題曲、タイトルチューンですから、彼女が一番いいたいことはこれらの曲に詰まっていると言っても過言ではないでしょう。

個人的にはこの方法はすごくスマートで洗練されているなと感じました。一番目立たないところに一番想いを詰め込むなんて。

その後いくつか曲をYouTubeで聴いてみて、カバーでも英語歌詞なら心に響きやすいということがわかってきました。わたしは英語のリスニングはまったくダメです。意味はわからないのに心に響く。なんでや。

May J.の歌は、日本語歌詞の場合と英語歌詞の場合では、響かせる場所が違うのですね。彼女にとって日本語は母国語ではなく、英語のほうが素直に自分を表現できる言語なのではないでしょうか。日本語の歌はそれに比べて、取り繕っている感があるかもしれません。

英語というのは世界共通語であり、多国籍的な言語です。もちろん元々はイギリスの植民地政策の成せるわざですが、今となっては英語を拒絶して生きていくことは難しい。日本以外の多くの国では、英語は第二言語として根付いています。日本だけはまた別の話になってきますが…。

そのMay J.がなぜ、得意な英語ではなく、おそらく苦手だと思われる日本語で歌うことが多いのか、それは事務所やレーベルの、マーケティングを意識した意向である可能性が高いでしょう。

日本では英語歌詞でヒットを飛ばすのは難しいのです。売れ線を狙うなら日本語歌詞しかありえません。

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

ちょっとここで、日本語と英語と違いというか、むしろ日本語の特殊性についてのパラグラフを挿入します。

日本人は日本語という言語を母国語としている代償に、音楽を聴く耳を半ば失っています。日本人は歌詞とその歌詞を乗せた主旋律しか聴かない人が多く、凝ったアレンジなどは雑音として「うるさい」と感じる人が多いぐらいです。

その理由は、日本語は左脳偏重言語である、というところにありそうです。

【参考リンク】
日本人の脳の特性 右脳と左脳

上のリンクによると、左脳は言語脳、右脳は音楽脳といわれるが、日本人にとっての右脳を音楽脳と呼ぶのは適切ではないとのこと。

日本人は音楽も左脳で処理する。鳥の声や川のせせらぎ等の自然音ですら左脳で処理する。つまり、言語化してしまう。西洋楽器の音や雑音は右脳で処理するそうです。

つまり、日本人にとってロックであろうとクラシックであろうと西洋音楽は雑音と同じってことですよね。日本人はどんな楽曲でも歌詞とボーカルしか聴かないと言われるのはそのためだろうと思われます。

でも、いろいろな音楽を聴き続けることによって耳を鍛えることはできるからね。一旦チャネルのようなものが開いちゃえば、びっくりするぐらい多くの音が聞こえてくるようになる。それらは今まで鳴っていなかった音ではなく、脳が雑音として排除していた音なのです。

少し話がそれてしまいましたが、May J.の歌の謎を語るのに、リスナー側、すなわち日本語を母国語とする日本人の脳の構造について語ることは切り離せないと思い、少しページを割きました。

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

以上のことをふまえて考えると、あまり音楽になじみのない日本人にとって、May J.の歌声は西洋楽器の一種と認識され、雑音(意味をなさない音)として排除されてしまうのでは?だから心に響かない、右から左へすり抜けるような感覚がしてしまうのではないだろうかという仮説。

もちろん洋楽を聴き込んでいるような人にとってはそのようなことはないでしょう。それでも感じる、一種の空虚さ、物足りなさというのはあるのではないでしょうか。

技術としては申し分ない、おそらく世界のボーカリストと比較してもひけを取らないほど本当に歌は上手い。生で歌っても、アカペラで歌っても、どこで歌ってもCDクオリティというのもまた彼女のすごいところ。

だから余計に、機械や楽器の一種のように感じてしまうのかもしれませんね。画竜点睛を欠くかのようなもどかしさを感じてしまいます。

長くなってきたのでとりあえずここで切って、次の記事ではMay J.の動画をいくつかYouTubeからピックアップして、それについてコメントを書くという形で展開していこうと思います。

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

最後に一曲。日本語歌詞で売れ線狙いの曲ですが、作曲はMay J.本人と誰かの共作になっているようです。クレジットはこうなってます。しかし可愛いPVだな~。

作詞:Shoko Fujibayashi 作曲:May J. / Jeff Miyahara

May J. - Be mine ~君が好きだよ~

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2014年7月19日 (土)

雪のための50の言葉

そういえばケイト・ブッシュの最新アルバムも雪だったなと思い出して、またちょっと追加の記事を。

50 words for snow』、国内盤では『雪のための50の言葉』(2011)
動画は公式ではなく、ファンが作ったものだと思います。

Kate Bush - 50 Words For Snow

とにかく地味~なアルバムです。前作の『エアリアル』でも散々地味と昔からのファンからは叩かれていましたが、それを上回る地味さw

わたしは『エアリアル』は大好きなので別に地味とかつまらないとか思わないけど、『雪のための~』はさすがのわたしでも、これはちょっと地味すぎないかと思った。まるで永遠に終わらない雪と冬の時代のようで、聴いていると気が滅入ってきます。

でも、雨の日とかにはよく似合うの。だから鬱々とした雨の日には時々聴きます。基本的にピアノだからでしょうかね。サティもそうだけど、ピアノは雨の日によく似合うね。

一番お気に入りは2曲目の『Lake Tahoe』、凍り付いた湖の底に沈んでいる女主人が、自分の飼い犬「スノーフレーク」(意味は「雪の結晶」)の名を呼び続けている歌…だったっけ?曲から、なんかそんなイメージがわたしはしました。あんまり歌詞ちゃんと読まない派なのでw

ほら、ケイトってイギリス人だからさ。イギリスのコントラストの低い陰鬱な気候に培われる性質ってのがあると思う。だって気候とかそう簡単に変わらないし、ずーっとずーっと昔からイギリスはそうなんだよ。国自体、老いているのもあると思う。

でも、日本も同じ島国だし、どっか共通する部分はあるよね。日本の場合は逆に大人になれない幼稚地獄だけどw

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

ついでに、『Aerial』(2005)のフルアルバムもUPしておきます。左がDisc1の『A Sea of Honey』、右がDisc2の『A Sky of Honey』。以前はDisc1が好きだったけど、今は断然Disc2が好きですね。

今は時代が変わって、買わなくても全視聴できるようになっちゃいましたね。でも、音質面とか考えるとやっぱCDやハイレゾ音源買ったほうが。

Kate Bush - Aerial: A Sea Of Honey
Kate Bush - Aerial: A Sky Of Honey

【エアリアル関連記事】
あめのみくりや:空と海のシンメトリー
あめのみくりや:Aerialは心の洗濯機
あめのみくりや:魔物語第二章 琥珀と日々草の歌
あめのみくりや:ゴールデンライト ~金色の光~

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

次回からは本当にMay J.の続きをやります。

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2014年6月18日 (水)

アナと雪の女王 氷の心を制御する者

数あるディズニー映画のなかで、なぜ『アナと雪の女王』にだけハマるのか。何か心の琴線に触れるものがあるのだろうね。

この映画は、従来型のお姫様と王子様の出会いの物語――悪い魔女を倒して最後は必ずハッピーエンドになる紋切り型のシンデレラストーリー――を破壊しているからかもね。

エルサは、従来のディズニー映画で描かれていた魔女だと思います。そして、アナは従来のお姫様ですね。魔女とお姫様が、あたかも一人の女性の裏と表のように、姉と妹という立場となって描かれている。それがこの映画なのだと思います。

アナとの和解=自己の統合。自己が統合された状態でなければ、魔力をコントロールできない、というあたりからエルサとアナは表裏一体と考えられます。

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

ところで、エルサとアナどっちが好き?というアンケートで、エルサが75%、アナが25%という結果が出ていました。

【参考リンク】
アナorエルサ(雪の女王) あなたはどっち派? | アナと雪の女王 | ディズニー映画

また、これは正式な統計はないのですが、エルサは女性人気が高いようです。わたしもどっちと言われたらやっぱりエルサですね。誰にも言えない秘密を一人で抱えて苦しんでいたところが切ない。そしてブチ切れるところが素敵w

そんな従来なら悪役として描かれていた魔女=エルサが、一躍大人気となって、従来型のヒロイン=アナを凌駕しちゃうんだからすごいよね。

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

その代わりに悪役となったのがハンス、従来の王子様ですね。ハンスはどうやら、「」という役割を果たしているようなのです。

ハンス=鏡説については、こちらのブログ記事にすごく納得しました。

【参考リンク】
Red Notebook 『アナと雪の女王』ハンス王子の解釈

アナがハンスに惹かれたのは、恋に恋する乙女にありがちな自己投影。ハンスはアナの理想の王子様を忠実に再現した。

今にも凍り付きそうなアナがハンスにキスをせがむとき、突如本性を顕わにするハンス。それも実はアナの投影で、すでにアナの心はハンスにはなく、それが真実の愛でないことをハンスは知っていた…というよりは、自動的に、アナの深層心理を反映したに過ぎないのです。

エルサに対してはまるで死神のようにふるまうというあたりは、上記ブログと同感ですね。ハンスはエルサの自責の念から来る自殺願望を叶えようとしたに過ぎないのです。

実体のないハンスは、このように常に向き合う相手の深層心理の願望を叶えるジョーカーのような役割を果たしていました。とても優しい王子様であることに変わりはないのかもしれません。

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

最後に、従来のヒロインであるアナは、こともあろうか、孤児の氷売りという身分の低い青年と結ばれる…。王位を継がない妹という立場になっているので、それが許されるのだろう。

このように、従来の王子様は牢屋に、従来のお姫様は卑しい身分へ。王権は見事にひっくり返されてしまいました。そしてその頂点に君臨するのが、従来の魔女である女王エルサ!まさにレリゴーヽ(´ー`)ノ

しかし、ふと気付いた。案外、クリストフの職業が氷売りというあたりもポイントかもしれません。最初の『氷の心』の歌の歌詞にヒントがあるかも。

美しい
パワフル
危ない
そうだ

氷の持つ力
魔法の力とても強くて
誰にも支配できないぞ

クリストフは氷を扱う達人なわけです。もっと深読みするなら、孤児というあたりにも何か謎がありそうですが、作中ではそれは語られていないので、想像するしかありません。

エルサは魔力そのものですが、アナはそれを制御する鍵です。そしてクリストフにも、その制御属性がありそうです。

つまり、氷の魔力を制御する力を持つのが、アナとクリストフのペアということになり、その力はエルサにとっても絶対に必要なもので、この3人が仲良く協力して暮らしていく限り、国は安泰なのでしょう。

参考に、『氷の心』 英語版しかYouTubeにありませんでした。

Frozen Heart - Disney Frozen

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2014年6月15日 (日)

雪の女王と氷の白鳥

アナと雪の女王』が大人気ですね。わたしも珍しく、映画館に観に行きました。

それ以前にすでに主題歌の『Let it go』等もYouTubeで聴いていたのですが、日本語歌詞を聴いたとき、ふとよみがえる記憶がありました。

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

ちょうど10年前、2004年のゴールデンウィークの頃です。

ちょうど今流行りの「雪の女王」と形容できるような意識に、10年前に少し触れたことがあります。その話を以前もちょっと書いたと思うのですが、これを機にもう少し掘り下げて描いてみようかなと。

ちょっと触れたというのは、その意識の一部が憑依して、自分と一体化していたということです。わたしは霊が見えるとかいう類のいわゆる霊感体質ではないのですが、エネルギーがなんとなくわかるというのと、なぜかたまに目に見えない存在に憑依されることがあります、ということをまず前提に。

自分の意志でその状態を起こせるわけではありません。あくまでも向こうから勝手にやってきます。自動的に流れてくると言ったほうがいいのか。まあ、要はよくわからないのです、自分でも。

それはとても冷たいオーラだった。その気を纏っているときの自分はまるでまるで歩く冷凍庫みたいに、周囲1mぐらいかな(もっとあったかも、自分ではよくわからなかった)、通りすがりの人が「何?寒い!」と飛び退くほどだった。

その頃、同居人はわたしに死霊が憑いていると言って気味悪がって近づかなかった。

宅配便の人は何か恐ろしいものを見たかのように用が済んだら逃げるように去って行った。(失礼しちゃう)

でも、冷凍庫オーラを纏っている自分自身は全然寒くなくて、内部は暖かかったのだけど。まさに『Let it go』の「少しも寒くないわ」の状態だった。

ちなみに、きらとくくるはいつもどおりわたしにべったりだったと思います。猫にとっても寒くはなかったのでしょう。わたしと猫だけが内部にいたということか。

それも一時的な現象で、すぐに通り過ぎていったけどね。

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

何度か言及しているかと思いますが、これらの一連の事象は、2004年3月20日の、オランダ前々女王ユリアナの崩御とシンクロしていたようです。

当時はまったくわからなかったのですが、調べていくうちに徐々にわかってきました。

そのオランダですが、ちょうど一年前ぐらいに、前女王ベアトリクスが退位して、現在は息子が王位を継承しているらしい。王家では百年ぶりに生まれた男子なのだとか。じゃあ、今オランダは女王の国じゃないのですね、知らなかった。

オランダで国王即位式 ベアトリックス女王の退位受け

女王が退位を表明したのは今年1月。国内メディアは、昨年オーストリアのスキー場で雪崩に巻き込まれ、こん睡状態に陥ったままの次男ヨハン・フリーゾ王子のそばにいるために退位を決めたとの観測を伝えた。

- 2013年4月30日付、CNNより

雪崩に巻き込まれ…雪と女王…

オランダのフリーゾ王子死去、スキー事故後意識戻らず

2004年、同国の王位継承順位4位だったフリーゾ王子は、かつて麻薬王と関係があったと報じられたマーベルさんと結婚するに当たり、王位継承権を放棄していた。

- 2013年8月13日付、AFPBB Newsより

麻薬王…しかも王位継承権を捨てて結婚したのは2004年…

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

今思えば、あの冷凍庫状態はけっこう面白かった。単に冷気のオーラを纏っているだけじゃなくて、すべての事象が自分とシンクロしている感じ、宇宙の中心が自分という感覚、常に海の中を泳いでる感じ。空間を満たしている要素が体感的にわかるという。

宮沢賢治の童話の世界のような体験をしたのもこの頃です。カエルのオーケストラとか、ほんと今でも録音しておけばよかったと悔やむぐらいw

面白かったけど、いいことばかりではなかった。ネガティブ面もあったからね。というか、ネガティブ面のほうが大きい。人の悪意とかもすごくクローズアップして聞こえるわけ。あの状態に長期間は耐えられるもんじゃないだろう。統合失調症一歩手前なわけだからね。

今でも時々ナチュラルらりぱっぱ状態にはなるものの、あそこまで深く入り込むことは、もうないですね。やっぱり当時のネガティブな思い出がわたしの心にブレーキをかけますw。それは結果的に自分を守ることにもなっているので、まあよかれ悪しかれですね。

ちなみに、当ブログの根幹である[色と音と数の法則]はそのときに生まれました。海に潜って、引き上げた収穫物みたいな感じ。

この法則を構築した経緯ってのを今までちゃんと書いていないので、書きたいなとは思っているのですが、理論的に説明できるような経緯がないのでどうしたものかと。ただ、これはここ、これはこう、と直感的にパズルができちゃったみたいな感じだから。ただ、自分ですごく検証もした。

この法則の一番根っこになってるのが、古事記なんですよ。色と形状はオーラソーマの色相環に似てますが(つーかパクリなんでw)、説明するためのツールにちょうどいいから使ってるだけ。

◆◇◆ ◇◆◇ ◆◇◆

当時の経験について、当ブログの過去記事で少し言及しています。解説とか書いてありますが、全然解説にはなっていませんw

その後、一転して極寒地獄に。キーワードは氷漬けの白鳥。月の冷凍庫に保存されている。氷漬けの中での母子関係。冷凍庫に宿った胎児。…凍結受精卵のことだろうか?

【関連記事】
あめのみくりや:過去の日記の解説

その過去日記そのものについては、現在公開しておりませんが、一部だけ抜粋して以下に掲載します。(全文ひらがなだと読みにくい部分は漢字に変換しています)

■2004/04/29(木)
こんどは こおりづけの はくちょう。さむすぎ。おーい、おかあさん、ひーたーいれて。

■2004/04/30(金)
わたしは宮津を極寒地獄へしてしまうつもりなのでしょうか。そのうち雪が降るんじゃないか。

自分の血統へのすさまじいまでのこだわり、というか、執念がそうさせているようです。溶かしてあげたいものなのですが、どうしたものやら。

あ、そうか。乱れた言葉がだめみたいです。ことばづかい、とかのことじゃなくて、正統な高天原の言葉でしょうね。やっぱり本物の“あい”でないとだめみたい。

■2004/05/04(火)
あー、はやくままにあいたい。どうしてこんなにさむいのかなぁ。でも わたしのこころは とってもあったかい。てあしはさむいけど こころがあったかくてしあわせ。わたしこれをもって うまれるんだね。まえはこれがなかったから かわいそうなことになっちゃった。ちゃんとこれをもって うまれることができるのが とってもうれしい。わたしがずっとほしかったもの。ほんものの“あい”。みんなありがとう。

「わたし」と書いてありますが、今現在のわたしではありませんw。そのときわたしに憑いていたものの意識がわたしと一体化していたので、“わたし”と感じただけだと思います。

“雪の女王”が周辺地域(このときは宮津にいたので、宮津だと思った)を凍らせたのは、自分の血統への凄まじいまでのこだわりのため、と書いてある。溶かすためには「本物の愛」が必要だと。

ここでいう本物の愛、真実の愛とは、自己愛に近いものではないだろうか?

王族ってのはそういうものだよね。何よりも血統が大切。

『アナと雪の女王』でも、最終的にエルサとアナを救ったのは、王子様のキスではなく、互いの姉妹愛でした。血のつながりこそが真実の愛であると言わんばかりに。

より自分に近しいもの。エルサとアナが表裏一体で、実は一人の女性の裏と表とするならば、まさに自己愛こそが自らを救ったわけです。

でも、その女王の意識の一部が赤の他人の日本人に流れてきているのはどういうわけなんだろう。物質的な血統だけでなく、もっと高次の霊統というものもあるのでは。

その雪の女王ですが、わたしは過去日記にあるように、“氷漬けの白鳥”という象徴で認識していました。原題の『Frozen』のほうが近いですね。白鳥は、はくちょう座のこと。

はくちょう座北十字ともいって、キリストを磔にした十字架と同一視される。それが凍り付いている…ということは、どういうこと?

氷漬けの白鳥が解凍されるとき、それがキリスト意識の目覚めということなのかもしれません。それが真実の愛であり、真実の自己に目覚めるということ。

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ちょっと盛り込みすぎて長くなりましたが、最後に、松たか子の歌が世界中で大好評を博したという、『Let it go』の25カ国語バージョンを貼っておきます。日本語の響きの美しさが際立っているように感じるのは、きっとわたしだけではないのだろう。

V.A. / 『アナと雪の女王』「Let It Go」(25ヵ国Ver. )映像

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2014年4月28日 (月)

Welcome to New World

前回は、「ルーシー現象」の説明の一環として、『多重人格探偵サイコ~雨宮一彦の帰還』のあらすじを紹介しました。ルーシー現象という言葉も、このドラマからお借りした便宜上のものです。

ルーシー現象とは、タナトス、つまり死の欲動を大規模に引き起こす力動、とでも考えればよいでしょうか。それをわかりやすく表現したヒントのような作品が『MPDサイコ』であったというわけです。

このドラマは2000年5月に放映されました。

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そして、ここからまたビョークの話題に戻るのですが、同じく、2000年5月に、ビョークの主演映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』がカンヌにて初公開されました。

Dancer in the Dark (2000) - Official Trailer

あらすじ。以下、Wikipediaから引用。

舞台はアメリカのある町。チェコからの移民セルマは息子と二人暮しをしていた。貧乏だが工場での労働は、友人に囲まれて日々楽しいものだった。だが彼女は先天性の病気で徐々に視力が失われつつあり、今年中には失明する運命にあった。息子もまた、彼女からの遺伝により13歳で手術をしなければいずれ失明してしまうため、必死で手術費用を貯めていた。

ここからはわたし個人の感想を交えながらの説明です。

その大切に貯めた手術費用を、信頼していた隣人に盗まれてしまうわけです。そして取り返しに行こうと思ったら逆に泥棒呼ばわりされ、返してほしかったら殺せと言われて、ほぼ不可抗力的に殺させられてしまうのです。強盗犯に仕立て上げられてしまったのです。

金を盗んだ隣人は、妻の浪費癖や生活に疲れ、実は自殺願望を持っていた。しかし警官である彼にとってはメンツは命よりも大切だったため、本当は自分が泥棒なのに、強盗の被害者としての死を選んだのです。目の見えないセルマはその犯人役に仕立て上げられてしまった。

そして裁判が始まり、隣人が金に困窮していた事実を、自分を陥れた相手であるにもかかわらず、二人だけの秘密だからとセルマは律儀に黙秘し続け、結局死刑になってしまいます。

息子の手術費用で弁護士を雇えとアドバイスする友人にも耳を傾けず、当初の悲願どおり、セルマは医者に手術費を預ける。

友人は「息子に必要なのは母親だ」と叫ぶが、セルマは「いいえ、目よ」と言い張って自分の命と引き替えに、息子に目の見える未来を授けるという目的を果たしたのだ。

そんなこんなで死刑執行の日、息子の手術が成功した旨を執行室で聞くセルマ。あとは何も心残りがないかのように、セルマは自分の心の、魂の拠り所であった歌を歌いながら、絞首刑に科せられるのです。

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という、まあ、どう考えても、いろいろとおかしな話なのですが。まずセルマの融通が利かなすぎる。死刑囚の息子なんて汚名を一生背負ったまま生きていかなければいけない息子さんがむしろ気の毒…

多くの方の疑問と同じように、やはり、セルマは息子のためというよりは、自分自身の美学を完成させるために、自分の意志を貫いたかのように思われます。

盲目というのは盲信のメタファーであり、盲信している人にとっては他者というものは存在せず、とにかく自分の内的世界だけなのですよね。

母親が自分の命と引き替えに、さらに死刑囚の汚名を着てまで息子に見せたかった未来とは、一体。息子の目には、未来がどのように写るのだろう。

むしろ、こんな世界壊しちゃえ~ってなりませんかね?(;^ω^)

視聴前にTwitterでこのように予想していたのですが、当たらずも遠からずという感じでしょうか。

というわけで、この映画もまた、タナトスの存在が色濃く感じられる映画なのです。

映像は色彩が抑えられ、カメラワークもわざとホームムービーのような不安定な感じに仕上げられており、ビョーク本人も美貌とはいえないルックス。映像の見た目の美しさというのはあまりないのですが、所々に入っているミュージカルシーンだけは大変切なく美しく、本当にそれだけが救いのような映画です。

すべては音楽のために。というわけなのでしょうか。

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ここからやっと本題。

ダンサー・イン・ザ・ダーク』と『MPDサイコ』の関連性について。

なんの関連性もないこの二つの映画、一つはカンヌ国際映画祭の最高賞を受賞した名作、一つは人々の記憶の墓場に埋もれたB級ホラーなんで、比較するのも失礼かもしれないけど、まあ、だからこそ、このブログの意義があるというか、誰もやらんことをやるんですw

この二つの作品に共通するのは、公開時期と、<目>と、タナトスと、主題歌のタイトル。ビョークのほうはNew World [新世界]、サイコのほうはStrange New World [奇妙な新世界]。挙げてみるとけっこうありますね。

Björk - New World (ending of Dancer in the Dark)


If living is seeing
I'm holding my breath
In wonder - I wonder
What happens next?
A new world, a new day
To see, see, see...

生きることが 見ることなら
かたずを呑んで 見守るわ
ああ 胸を躍らせて
次に何が起こるのか
新しい世界 新しい日々を
見届けるわ この目で…

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さらに、ビョークについて調べてみると、1996年に興味深い事件が発生しています。

ビョークの婚約報道にショックを受けた熱狂的なファンが、ビョークに爆弾を送りつけ、自分は自殺して、その一部始終をビデオに記録していたのです。本人は首尾よく自殺を成し遂げたが、爆弾のほうはビョークに届く前に警察が発見したとのこと。

当時の報道番組にそのビデオの一部が公開されており、現在でも視聴することができます。いわゆる海外の「キモヲタ」というやつでしょうか。やっぱり海外はスケールが違うね。

【参考リンク】
【ニコニコ動画】【基地外注意】ビョークのストーカーによる自殺実況ビデオ

そして興味深いのが、最近自殺実況って流行ってますが、自殺実況の元祖が、このビョークのストーカーなのではないでしょうか。

1996年ですから、1998年hideの自殺(謎の死)より前です。ここでhideの名前を出すからには、やっぱりこれもルーシー現象の一環であると、わたしは思っています。1998年から日本で若者の自殺率がうなぎ登りになっていることからも、それがわかります。

だからわたしはhideが元祖かと思ったのですが、それ以前にビョークの事件があったので、これも見過ごすことはできないと思いました。

もちろん、それ以前にもミュージシャンの自殺というものは昔からあります。カート・コバーン(1994年没)しかり。わたしは当時のことをあまりよく知らないのですが、アメリカではやはり後追い自殺等あったのでしょうか。

ここで言うルーシー現象、正式には、「ウェルテル現象」というものに近いかもしれません。ゲーテの『若きウェルテルの悩み』にちなんでいるそうです。

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わたしは何も、誰かを糾弾したいわけではありません。魅力的なものというのは、得てして、このような危険な吸引力を持つものだと、そのことをただ言いたかっただけです。

美に魅入られるのも、死に魅入られるのも似たようなもの。

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2014年4月27日 (日)

ルーシーの起源

まだビョークの話題の続きなのですが、それもちょっと絡めながら、「ルーシー現象」を最初に起こした人物は誰かという話を少し。

まずは、ルーシー現象って何?って話をざっと。この漫画原作のドラマが元ネタとなっています。厳密には、元ネタと言うよりは、概念をわかりやすく説明するためのツールだと思います。

『多重人格探偵サイコ~雨宮一彦の帰還~』
2000年5月2日~5月7日 23:00~24:00
六夜連続WOWOWにて放送
原作・脚本:大塚英志、監督:三池崇史

以下はトレイラーなのですが、最初の00:50~01:00頃に河合その子(“龍妃”名義)登場してます。本編には登場せず、物語の外側からそれを語る、あるいはそれを見つめている人物ということが示唆されている。

このトレイラーでかかっている曲は主題歌の『Strange New Worldルーシー・モノストーンの曲ということになっていますが、実際の作曲者は後藤次利です。

MPD PSYCHO Trailer

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ストーリーはちょっと説明しにくいけど、肉体とは独立した精神生命体が、他人の意識の中に入り込んで(人格転移して)目的を遂げるための道具にしていくみたいな話です。

その目的というのが、猟奇殺人等の破壊活動や、集団自殺を引き起こすこと。それを作中ではキーパーソンのルーシー・モノストーンにちなんで「ルーシー現象」と呼んでいる。

その精神生命体が憑依している肉体が絶体絶命で逃げ場がなくなったら、自ら命を絶ち(肉体を殺し)、死ぬ寸前に、電話回線の向こう側にいる人や、物理的に近くにいる他人に乗り移り、別人となって逃亡する。だから絶対に捕まらないという仕組み。

そのような現象を起こせる人たちには共通の特徴があり、それが左目のバーコード。作中では目の近くのほくろもよく印象的な写し方をされていました。

<目>というテーマがすごく重要なんですよね。左目のバーコードは、工業製品とか、量産型を暗示する。

彼らはオリジナルにこだわる。なぜなら、量産型たる自分にはオリジナリティがないから。犯罪だってコピーキャットだ。

ルーシー現象、それはおそらく、つくられしもの、被造物、量産型の工業製品の反逆…なのかもしれない。

バーコードは量産品、すなわち「特別じゃない」印だ。だけど、次世代のルーシー・チルドレンにとっては、逆に、それが彼らの選民意識をくすぐる特別な印になっていた。

それはまるで奴隷の足枷自慢。囲われた閉ざされた環境では、次第に自らを縛る印こそがステイタスになっていく。

ここからちょっと『ロリータの温度』につながるんですが、『葡萄姫』はなぜ、自分以外の少女たち(いわばルーシーチルドレン)を皆殺しにしたのか。

これもおそらく、自分だけが特別の、唯一の存在になりたかったからではないか。殺された他の少女たちは、これも想像でしかないけど、おそらく奴隷の足枷自慢タイプだったのではなかろうか。

葡萄姫は、そのような環境ごと、すべてをぶち壊したかった。もちろん元凶の誘拐犯・バーコードの青年も含めて。

しかし首尾よく全員始末したあとに彼女に遺されたものは、人々を欺くための虚偽の自分と、内面の空虚だけ。悲しくもなく、楽しくもなく、ただただ、そこには空虚しかなかった。

うつろな瞳に、あたかも無機質なビデオのように、ひたすら時代を記録し続けるロリータ℃、彼女はひたすら待っている。一億年後の地球に咲く花を摘むその時を…

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思いっきりB級映画なんですが、出演は保坂尚輝、中嶋朋子、大杉漣、裕木奈江、三浦理恵子、栗山千明、平野綾 等、なかなか豪華なキャストでした。

ここからは漫画原作のほうの話になると思いますが、結局、ルーシー・モノストーンって何?ってことなんですが、これは作中では、タナトス死の欲動)のことであると語られています。

そのタナトスの化身が伊園若女であると。そして伊園若女は…

【関連記事】
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あめのみくりや:サイコと緑の少女と昭和の怨念
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↓サウンドトラック 視聴できます。

【ニコニコ動画】ロリータの温度 / ロリータ℃

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2014年3月28日 (金)

白という色

さて、ビョークについての続きです。

香りに続いて、今度は色についてなんですが、わたしはビョークを見ていると、どうしても のイメージが浮かんできてしまいます。

ヴェスパタイン・ライブの衣装の色や、『All Is Full of Love』や『COCOON』のPVや、アイスランドの氷のイメージからというのもあるかもしれませんが、衣装はどちらかというと原色の派手派手系が多いにもかかわらず、それらはスルーして、なぜか白なんだな。

そういえば、前回の記事で、ビョークの香りは白檀と言いましたが、白檀にも「白」という字が入ってますね。

Björk - All Is Full of Love

ビョークは本人の才能もすごいのですが、才能のある人を集める才能もすごいのです。これ以外と希有な才能なのですよ。

だって、才能ある人ほど、プライドだって高いでしょう。技術や才能のある人ほど、人の助けを借りずになんでもひとりでやろうとします。でも、ビョークはそこが違う。いとも簡単に多くの人の協力を得て、壮大な合作を作ってしまいます。

これが白という色ならではなのではないかなぁ。多くの才能あるアーティストが、ビョークという真っ白なキャンバスに思い思いの色を描く。もちろん、ビョークはそれを、ほかの誰も到達し得ない、独自の世界観としてきっちり自分のものにする。

ビョークを手がける、彼女と一緒に仕事をして、彼女に捧げる。それ自体がまるで自分自身の喜びであるかのように、彼女にはあらゆる分野の才能溢れる協力者が絶えません。

それだからこそ、彼女はいくつになってもどこか幼さを残していて、いつまでも枯渇しないのだろうと思われます。むしろ、初期より後期になるほど進化しているという珍しいケース。

白という色の持つ無垢とかイノセンス、まさにビョークそのものではないですか?商業主義に走らない潔癖さも白という感じ。 (商業主義に走らないのにこんだけメジャーなのもすごいけど)

Björk - Innocence (音量注意

ところで、ビョークの声って独特ですよね。わたしは彼女の歌声を聞いていると、幼女と老女の二つの相が浮かんできます。なぜかその中間の大人の女はいなくて、なのです。この二つはね、実は魔女の条件なのですよ。

魔女といえば黒を普通は思い浮かべますが、ビョークは白なので白魔術なのかもしれませんw

ちなみに、わたしの中では、ケイト・ブッシュ西の魔女で色は赤、ビョーク北の魔女で色は白、川久保玲東の魔女で色は黒というイメージです。

南の魔女もどこかにいるのでしょうか?まだわかりませんw

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次の記事からは、恒例の、誕生日の石と花、銀河の署名、ダイモンについてやっていきます。

テントウムシという非常に珍しいダイモンが出ましたねぇ…!

ビョーク【/】【橄欖石/銀杏】【白い宇宙の風】【天道虫

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2014年3月 2日 (日)

ビョークは白檀の香り

最近また音楽の趣味がちょっと変わってきて、今一番よく聴いてるのがビョークBjörk)です。

以前、ビョークについて、中途半端に言及してそれっきりになってたのですが、ちょうどいい機会なので、ちゃんと書こうと思います。

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あめのみくりや:ブラックサン・日食を纏う女

ビョークの音楽を初めて聴いたときの印象は、メロディがなくて、リズムだけで構成されているような単調な印象だったのと、それでいて聴いていると底なしの鬱に落ちていくような気がして、昔はどちらかというと苦手()だった。

 わたしは基本的に陰鬱系の曲は好きなのですが、ビョークの場合は、例えばブリグリみたいにファッション的にプチ鬱を楽しむという感じじゃなくて、マジでシャレにならんところまで引き込まれていきそうだから。同居人などは呪われそうだから聴きたくないとまで言います(;^ω^)

しかし、一度その魅力と類い希なる才能に気がつくと病みつきになる。ビョークの音楽は、楽曲というものはメロディ主導という常識を覆す。その覆され方というのが、なんとも心地よいのだよね。

ああそうそう、この感じは、hideのソロ曲と出会ったときにも似ている。というか、hideの存在によって、まるでセントラルドグマを覆されるように、見事にそれまでの自分の中の常識がひっくり返ってしまって、それが新しい土台となって、以前は共鳴しなかったビョークの曲が、未熟なわたしの耳にもよく聞こえるようになってきたのだと思う。

【関連記事】
あめのみくりや:hideのこと プロローグ

でも、メロディがないような気がするってのは、完全にわたしの誤解であって、ないわけじゃなくて、従来の慣れ親しんだ感じとは違うってだけなんですよね。だからすんなり入ってこなかった。つまり、キャッチーでないというだけ。

例えば現代音楽(無調音楽)と比べればちゃんとリズムもメロディもありますよね。その中間的な感じですね。

通常なら、音楽と共鳴するときって、頭らりぱっぱになって、やたら多弁になって、すごくいろんな言葉や文章がどばーっと脳内に流れてくるのですが、ビョークの場合、今までと違って、あんまり言葉は出てこない。頭は常にクールダウン。ぐわーって上がらない。

自分の反応が従来と違う。しかし、これはこれでありなんじゃないかと思うようになりました。たまには自分自身の常識も覆してみるべき。

感覚でいうなら、冬場のサンダルウッド白檀)の精油のように、心の中に滴る粘度の高い重い涙。粘性が高いので、なかなかその一滴が落ちてこないんですよ。

白檀の香りはボトムノートで、最初の香り立ちは弱い。つまり、キャッチーではない。掴みが弱い。だけど、特に和の香りのブレンドには必須ともいえるぐらいの重要な香りで、常に香り全体の底支えをしていて、主張の激しいトップノートやミドルノートが揮発してしまったあとも、いつまでも深い香りを漂わせる。持続性に優れる。

そう、ビョークの音楽は、まるで白檀の香りのようだ。

逆に、わかりやすいキャッチーな曲というのは、トップノートやミドルノートなのだろう。そして、それらは揮発しやすいというのが運命だし、リズムと比べてメロディというものは枯渇しやすいという運命も持っている。

だから、作曲家がいつまでもヒットする曲を書き続けるのは難しいし、たとえ一発当ててもすぐに飽きられる。世界的にメロディがすっかり枯渇し尽くしてしまって、まるで合成香料みたいなチープな曲が蔓延している昨今ならなおさら。

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以前は、ケイト・ブッシュとの比較として、ビョークを挙げました。

ケイトの香りはドラゴンズブラッドだと以前書きました。ドラゴンズブラッドも竜血樹という木の樹脂なんで、基本はボトムノートです。

ただ、以前わたしが持っていたドラゴンズブラッドの香油のイメージからか、自分の中ではトップノートやミドルノートのイメージもあります。白檀と比べるとずっとパンチのある香りです。

【関連記事】
あめのみくりや:香りの話あれこれ

その初期のパンチ力というのは、すでにケイトからは失われていて、昔と比べるとずいぶん弱々しく枯れてきてしまった印象は拭えません。まるで何十年も引き籠もって出てこない太陽のような。

ケイトが引き籠もっている間に出てきたビョークという怪物に、すべて持って行かれたような、「今」を焦点として考えると、ある意味完敗のような状態ではないかなと思います。

そのビョークの怪物性について、次記事からもうちょっと掘り下げて書いてみようかと思います。思いっきりにわか()なんですが、にわかだからこその、新しい視点でなんか書けたらいいなと思います。

 わたしはいつもそう。なんでもにわかでいっちょ噛みなので、コアなファンやマニアの方々のお怒りを買ってしまうのではないかと、わりといつもびくびくしていますw だからいつもなるべく目立たないように、ねw

ビョークのライブで一番のお気に入りのビデオを貼っておきます。一般的にもやはりこのライブの評価が最も高いようです。

Bjork - Royal Opera House

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